④在日の「参政権停止条項」の成立等についての議論

【2014年10月31日改】水野論文について追加


引き続いての議論を転載いたします。
(読みやすいようにコメント対象ごとに順序を若干整理しました)



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★F 2009/12/31 16:28
当時の朝鮮人参政権「停止」条項の成立について興味深い考察を見つけたので貼っておきます。
これなんか読むと、戦後の在日朝鮮人に対しての政策が、法的なものももちろんですが、当時の現実の政治的・治安対策的な意味も大きかったのだとわかります。法が法だけで成立するはずもなく、戦後の混乱と暴力(大陸半島も内地も含め)、共産主義の隆盛、日本共産党と在日とのかかわり等、現在では想像しがたいすべての要素を考えに入れておかないと、簡単に判断は下せないと思います。
また、Jさんのお書きの「手当て」にしても、現在の在日が本当に戦前からの滞在者なのか、戦後の朝鮮戦争やチェジュドウ虐殺からの難民なのか、あるいは様々の密入国者なのかで、一律には考えることはできないでしょう。いずれにしても個々の入国事実に基づかない限り、冷静な判断はできないし誰も納得しないでしょう。

http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/sanseiken1.html
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/sanseiken2.html



◆M 2009/12/31 15:59
> これなんか読むと、戦後の在日朝鮮人に対しての政策が、法的なものももちろんですが、当時の現実の政治的・治安対策的な意味も大きかったのだとわかります。

言ってることの意味が分かっていますか?
あなたの言うとおりなら(この点に限ってはそのとおりだと思います)、朝鮮籍の人たちのさまざまな権利が奪われたのは、そういう政治的な状況を踏まえての日本政府による政治的判断であったということですよ。つまり、国際条約の制約によって日本政府には他の選択肢を取る余地がなかったという主張は明白に間違いであり、他の選択肢を取ることができたにも関わらず、日本政府が主体的にかれらの権利を奪う決定をくだした、ということになります。
日本政府の主体的な行為であり、従って日本政府の責任を問う意見が「成立する」というところまでは、これで納得していただけたでしょう。そのうえで、「日本政府の決定は正しかった」とあなたが主張するのは自由ですが、少なくともここで複数の論者が主張していたような、日本政府は国際条約に従っただけであってどのような形でも責任を問えないということは、間違いであることがはっきりしました。

議論終了ですね。みなさま、これまでご苦労様でした。


(注)上記の★Fと◆Mの発言時刻が前後しているのは、元ブログで◆Mがコメントした時刻には、★Fが一旦コメントしたものを訂正しようと削除中だったためです。



■G 2009/12/31 16:50
Mさん
> あなたの言うとおりなら(この点に限ってはそのとおりだと思います)、朝鮮籍の人たちのさまざまな権利が奪われたのは、そういう政治的な状況を踏まえての日本政府による政治的判断であったということですよ。

自分の都合のいい所しかご覧になっていらっしゃらないようですが、その資料の議論の中で清瀬が指摘しているように選挙権停止の大前提として降伏文書調印時点で朝鮮の分離が規定されている事をってのがあるんですよ。あと内務省の見解がひっくり返る原因となった清瀬の主張の1〜5と7もよく読んでみる事ですね。7なんかは、日本が引き続き朝鮮への支配欲をもっているとみられてはまずい、という、敗戦国ゆえの裁量のなさを露呈しているわけです。

なにより朝鮮人の選挙権停止の意向をGHQが明確に示したという事を示す

「外務省ノ曽根君ヨリ、マ司令部ニ於テ『朝鮮人及台湾人ニ就テ選挙権ヲ停止スル』トノ意向ヲ聞キ大臣ノトコロデ協議」

という「入江日記」の記述もね。
ともあれ国際法上日本に選択権がないことが十分説明されちゃってます。要は国際法上日本には朝鮮人を日本人とするための合理的根拠がないってことで終わってるんですが? なので

> 日本政府の主体的な行為であり、従って日本政府の責任を問う意見が「成立する」というところまでは、これで納得していただけたでしょう。

は全くもって間違いだという事が改めて確認されているわけです。
降伏文書調印が主体的行為であり、日本国滅亡まで戦うべきだ、とおっしゃるなら別ですが。



◆M 2009/12/31 17:41
 そういう意向があったという記述が一度あるだけで、そうした意向を含めて日本政府が政治的な判断を下したというように書いてあると思いますが。



■G 2009/12/31 19:18
その政治的な判断を下したというのはあくまでそのページの方の見解だと思いますよ。その人の見解とはいえ、閣議決定内務省の外地人への参政権を認める当初の方針が、戦時中の政策からの転換へのためらいというまさに政治的理由によるものと書かれているのも興味深いですね。
法的な関係の話は清瀬の主張1〜5で尽くされてしまっていることのほうが重要ですね。むしろ日本が政治的意向を反映するなら、1〜5を踏まえた上で、その法的な理屈を回避するために必要な例外規定を条約に盛り込む必要があったということです。しかも清瀬の7の主張の通り、敗戦国として政治的な判断を下すための自由度がないという指摘はMさんやRさんの見解とは矛盾するのではないでしょうかね。そこに駄目押しのGHQの意向ですし。
国籍選択の話も全くその通りで、最終的には帰化制度で対応出来る&基本条約交渉(ただし平和条約発効前)での大韓民国の選択制度の否定という結果で終わるわけです。事実関係や法的な理屈として私が従来主張している通りのものでしかありません。
私も政治的意図自体が全くないとまでは言う気はありませんが、仮に政治的意図があってもそれは法的な理屈と何ら矛盾するものではなかったという事でしかなく、それ以外の政治的意図があった場合に法的に相当の困難が予想されることがわかるページだと思いますが。


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【二つの水野論文について感想】

http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/sanseiken1.html

http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/sanseiken2.html

歴史研究者の存在意義のひとつはこの方のように埋もれていた歴史資料を発掘してきて光をあててくれるところにあるのだと思いますが、残念ながら往々にして、この方もやってらっしゃるように生の資料を表に出す際に「余計な」解釈をおつけになるのですね。たとえば入江日記の以下の部分でも、

【「外務省ノ曽根君ヨリ、マ司令部ニ於テ『朝鮮人及台湾人ニ就テ選挙権ヲ停止スル』トノ意向ヲ聞キ大臣ノトコロデ協議」(『偲ぶ』三九頁)。

  この文章は、入江がマッカーサー司令部に行ったところ、「外務省ノ曽根」に出会い、朝鮮人・台湾人の選挙権を停止するとの意見を外務省が持っていることを聞いた、というように読むこともできるが、素直に読めば、朝鮮人・台湾人の選挙権を停止する意向をマッカーサー司令部が持っているという話を「外務省ノ曽根」から聞き、急ぎ大臣らと協議した、という意味に取るのが妥当であろう。とすれば、朝鮮人・台湾人参政権の停止はGHQの意向によるものだったことになる。】

どうしたらそんなふうにこの日本語を解釈できるんだと思えるようなことを”わざわざ”「読むこともできる」という前振り電波を書き込んでからでないと発表したくない程度に"危険な誘惑"が働くわけです。最初から「素直に読」めばいいんですよね。で、この一文が日記に存在してしまったために、この方は、次節で必死にGHQの意思を否定しようとなさるわけですが、そこでも

『曽禰が入江に伝えたのは、この条約局第二課作成の文書にもとづく外務省の見解ではなかっただろうか。文書そのものを渡したかどうかはわからないが、文書の大まかな内容を伝えたのではないか。曽禰はその際、GHQも外務省の見解に同意していることを示唆したのではないだろうか。そして入江はそれを「マ司令部」の「意向」と受け取ったのではないか。これらはあくまで推測でしかないが、可能性としてあり得ることである。』

というふうに推測に推測を重ねた末に「推測の王国の住人」として「可能性としてあり得る」と、結論なさるわけです。入江の一文を否定せんがために、実証できないものは推測と解釈で一旦「突破」しておく。それがあたかも事実であるかのようにその後は自分に都合のいい解釈を重ねていく。

余計な推測や解釈はいらないから、生の資料をそのままぜぇ〜んぶ公開してくださったほうがどれほどありがたいか、と。。。。。

その点、「日韓市民でつくる 日韓会談文書・全面公開を求める会」( http://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/ )は、立派ですよね。あ、水野さんもここの呼びかけ人の一人でしたね。。。










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●J 2009/12/26 12:02
どう考えても、戦後、在日朝鮮人日本国籍が消失するのは当然ではありませんか?日本国籍の法的根拠が完全に失われたわけですから。
問題は日本国籍喪失ではなく、喪失と平行して、あるいは喪失の後に、日本政府が在日朝鮮人に対してどういう手当をしたかでしょう。それが何もなかったという点を捉えて、国籍の消失を「国籍の一方的剥奪」と呼ぶのなら、レトリックとしては理解できますが、在日の日本国籍は本来維持されるべきであったという立場から「国籍の一方的剥奪」と呼ぶとすれば暴論です。
戦後ドイツの在独オーストリア人に対する当初の扱いは間違っていました。ドイツの降伏と併合地域に対する主権放棄、そしてその後のオーストリア政府樹立をまって、在独オーストリア人はオーストリア国籍を回復(ドイツ国籍は消失)するのが筋でした。ところがドイツは在独オーストリア人を依然としてドイツ人として扱った。抗議を受けてはじめてドイツは彼らのドイツ国籍消失を確認することになりました。その上で国籍選択権(本人の意思表示により失ったドイツ国籍を回復することができる)が付与されたわけです。
戦後ドイツの事例に倣うとしても、在日朝鮮人日本国籍消失は理の当然だと思います。問題は上述の通り、それに伴う日本政府及び韓国政府の措置であり、何よりも、今、何をすべきかでしょう(これについては既に書いたので繰り返しません)。



▼R 2009/12/28 22:50
>どう考えても、戦後、在日朝鮮人日本国籍が消失するのは当然ではありませんか?

どう考えても当然ではありませんね。 日本国籍者であるからこそ日本に渡ってきて生活している人々の日本国籍を、本人に何の責任もないのに、意思確認をすることなく喪失させることがなぜ当然なんですか?

>日本国籍の法的根拠が完全に失われたわけですから。

むしろ在日朝鮮人日本国籍の喪失を規定した国際法も国内法も存在しないのです。日本国内の日本国籍者に対する統治権サンフランシスコ平和条約で日本は放棄したわけではないのですよ。日本国籍得喪は日本の国内管轄事項ですが、あなたは日本が主権国家であることを否定するつもりですか?

>問題は日本国籍喪失ではなく、喪失と平行して、あるいは喪失の後に、日本政府が在日朝鮮人に対してどういう手当をしたかでしょう。

日本政府に対する私の批判は、以前ここで、「日本の咎が「国籍一律喪失」そのものにあるではなく、在日朝鮮人に日本人と同等の権利を保障しなかったことにあるのです。 「国籍選択権」は保障すべき権利の中に含まれる」、と述べたとおりです。

>それが何もなかったという点を捉えて、国籍の消失を「国籍の一方的剥奪」と呼ぶのなら、レトリックとしては理解できますが、在日の日本国籍は本来維持されるべきであったという立場から「国籍の一方的剥奪」と呼ぶとすれば暴論です。

「在日の日本国籍」として十把一絡げに論じること自体がそもそもの誤りであり暴論です。 個々人の意思や事情の差異を考慮せずに一律に国籍を喪失させたのですから、まさしく「国籍の一方的剥奪」と呼ぶのがふさわしいでしょう。 国籍の得喪だけを問題とするなら、それこそ国籍選択権を付与すべきとの見解が妥当性を持つのです。

>戦後ドイツの事例に倣うとしても、在日朝鮮人日本国籍消失は理の当然だと思います。問題は上述の通り、それに伴う日本政府及び韓国政府の措置であり、何よりも、今、何をすべきかでしょう(これについては既に書いたので繰り返しません)。

在日朝鮮人を無国籍者に貶めて何の手当てもしなかった歴史的事実を省みない、不公平極まりない発言というほかありませんね。 少なくとも国籍選択権の付与が伴わないかぎり許容できない発言です。 あなたのそのような発言は、在日の人権を無視した日本政府の非道の責任を薄めようとする意図が見え見えです。



●J 2009/12/30 21:22
>むしろ在日朝鮮人日本国籍の喪失を規定した国際法も国内法も存在しないのです。

直接「日本国籍の喪失を規定」する法律が無くても、日本国籍の法的根拠が無くなれば、喪失するのが当然でしょう。既に述べたように、問題は、その後に、あるいはそれと平行して必要な手当をすることです。どのような手当が必要であったか、必要でなかったか、また可能であったか、可能でなかったかを論じる方が良いと思います。
Rさんはその手当として「在日朝鮮人に日本人と同等の権利を保障」することが必要かつ可能であったとし、その中に「国籍選択権」が含まれるという考え方ですね?その考え方は尊重しますが(「同等の権利」で言わんとすることはまだよく分かりませんが)、Gさんと議論する中で、日本国籍喪失そのものの妥当性を否定する方向に進み自家撞着に陥っているように見えたのでコメントした次第です。

>あなたのそのような発言は、在日の人権を無視した日本政府の非道の責任を薄めようとする意図が見え見えです。

「日本政府の非道」を無謬の前提とすればそう見えるでしょう。しかし私はそれを前提としていないのですよ。共有されていない前提でもって相手を非難するのは恫喝にはなっても議論にはなりません。
歴史をめぐる議論はできるだけ先入見を排して徹底的にやればよい。その結果、日本政府の非道ぶりが炙り出されてくるなら、それは受け入れなければならない。しかし非道であったにせよ、そうではなかったにせよ、その結論が明瞭になるまで(あるいは一方が他方を力で押しつぶすまで)現状に手が打てないとなったら愚かな話です。だから私は自分がよく知らない過去の話よりも現在どうすべきかに力点を置きたいと思っています。



▼R 2010/01/05 00:05
>直接「日本国籍の喪失を規定」する法律が無くても、日本国籍の法的根拠が無くなれば、喪失するのが当然でしょう。

日本国籍の法的根拠が無くな」ってるとあなたが勝手に思ってるだけじゃないですか。日本国籍が法的に喪失されなければ、日本国籍は法的に保持されたままである。こんな簡単な理屈が、なぜあなたには理解できないのですか?

>Gさんと議論する中で、日本国籍喪失そのものの妥当性を否定する方向に進み自家撞着に陥っているように見えた

Gさんとは「日本国籍喪失そのものの妥当性」を議論しているのではなく、サンフランシスコ平和条約によって在日朝鮮人日本国籍が必然的に喪失されるべきなのかを議論しているのであって、ただあなたが論点を見誤っているだけです。

>「日本政府の非道」を無謬の前提とすればそう見えるでしょう。しかし私はそれを前提としていないのですよ。共有されていない前提でもって相手を非難するのは恫喝にはなっても議論にはなりません。

私が自分の意見を表明するのがなぜ「恫喝」になるのか理解に苦しみますが、それ以上に、「日本政府の非道」を前提としないというなら、あなたの在日朝鮮人に対する人権意識の欠如を疑うしかありませんね。

>歴史をめぐる議論はできるだけ先入見を排して徹底的にやればよい。その結果、日本政府の非道ぶりが炙り出されてくるなら、それは受け入れなければならない。しかし非道であったにせよ、そうではなかったにせよ、その結論が明瞭になるまで

何を能天気なことを言ってるんですか。 結論はとうの昔に出ているのです。 日本政府は在日の日本国籍を剥奪して無国籍者に貶めた上で社会保障制度等から排除するなど日本人が享受する権利を認めなかった。 日本の自己都合で無理やり朝鮮人を日本人にしておきながら、挙句の果てに自らの政策責任を省みずに彼らを無権利状態に貶めたのですから、これを「非道」といわずして何というのですか?

>だから私は自分がよく知らない過去の話よりも現在どうすべきかに力点を置きたいと思っています。

過去をよく知ろうとしないで、現在あるいは将来の問題に適切に対処できるとでも思っているのですか? というか、私にはあなたのそのような発言が、過去の「日本政府の非道」の責任を帳消しにしようとする意図としか思えないのですが?



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■G 2009/12/29 03:55
Rさん
> 在日朝鮮人日本国籍の喪失を規定した国際法も国内法も存在しないのです。

散々言ってるように、すべての権原・権利・請求権を放棄したのだから、権原に基づく諸規定も失効する、それだけのことです。念のため言っておきますが、平和条約は昭和27年条約第5号として国内法としても公布されていますので、条約の規定は国内法としても有効です。さらに条約は国籍法等の一般国内法に優先するので、国籍法等も条約の定める範囲でのみ有効になるのは当たり前の話です。日本の主権の及ぶ範囲を定めるのは平和条約です。条約が定める範囲で国内法が有効なわけです。内地という領域での統治権が認められている以上、日本が行使出来るのは内地への対地主権とその領域に帰属する(≠居住する)人への対人主権、自主組織権です。朝鮮での統治権、すなわち朝鮮への対地主権と朝鮮に帰属する人への対人主権、朝鮮での自主組織権は放棄です。
あなたは朝鮮での日本の対人主権が維持されるから内地人は日本人なのだ、と言いました。しかし、日本は朝鮮という領域での対人主権を放棄したはずです。なぜ内地人だけ朝鮮という領域での対人主権が維持出来るのですか?あなたの在日朝鮮人での理屈に従えば、在日朝鮮人は内地という領域にいると内地の統治を受けるんでしょ?だったら内地人は朝鮮という領域に居ると朝鮮の統治を受けなくてはなりません。であれば、朝鮮に居た内地人は国籍喪失しなくてはおかしいです。あなたの理屈に従う限り、内地人だからといって朝鮮で日本の対人主権が維持出来る根拠がありません。

国籍に関する規定がないというRさんの主張は
 私の家族(朝鮮)の全財産を没収する(すべての権原を喪失)という規定には
 私の銀行預金(朝鮮人の国籍)のことが書かれていない。
 だから私の銀行預金(朝鮮人の国籍)を没収するのは不当だ!
ってのと同じなんです。家族といってもすでに結婚し、別の場所に住み生計を別にして独立している(他国の国籍を取得済み)等の事情があれば別でしょう。ただ、それは客観的な判断によるものであり、没収される側の本人の意思で家族に含まれるかどうかは没収規定の中に例外として盛り込まれないと意味がないことはお分かりでしょう?

> 日本国籍得喪は日本の国内管轄事項ですが、あなたは日本が主権国家であることを否定するつもりですか?

条約に関するウィーン条約(条約法条約)27条をご存知ですか?そこには、条約の不履行を正当化する根拠として自国の国内法を援用することができない、という規定があります。国内専管事項だと主張されても、それを根拠に条約の不履行を正当化出来ません。それに平和条約は日本国の主権に関する包括的な規定ですから、その中に具体的な項目が規定されてないのを主張しても意味がありません。包括的な規定に対する例外規定(国籍選択制の規定等)もないのですから、Rさんには不本意でしょうが国内専管事項の国籍の方で平和条約の規定と整合性が取られなくてはなりません。
Rさんも認められているように、在日朝鮮人の国籍の根拠が、朝鮮併合で獲得した日本の朝鮮における統治権の一部である対人主権の行使の結果です。実態としても、朝鮮人が世界のどこに居ようとも、朝鮮総督府の命令に基づいてのみ日本人と確認出来ることからも判ります。内地に問い合わせても根拠法もなければ証明に必要な資料もありません。朝鮮総督府がすべて管掌しているわけです。
朝鮮人が内地に居ても同じ事です。内地でも朝鮮総督府の出した朝鮮戸籍令等の適用を受けていて、内地の戸籍法や国籍法の適用は受けていません。内地法では日本人としての地位を認めておらず、法律上の人としての地位が朝鮮統治に基づいているからです。
内地では内地の統治を受けている、というのなら、内地では国籍法や戸籍法他内地人と全く同じ扱いを受けているはずです。ただ単に朝鮮人が内地に寄留しているだけ、という状態だから内地の国籍法や戸籍法が適用されていないんです。日本に住んでいるだけでは話にならない、っていうのは、法律上の人間としての確認をするという対人主権の根幹部分が朝鮮統治に依存し続けていたからなんですよ。
大元の統治権が放棄された時点で、朝鮮での統治権に基づいて認められた朝鮮人の国籍が一律かつ自動的に喪失するのは自明です。統治権がない=対人主権は当然失われるのだから。
そろそろ私の言っている事に対して具体的に問題点を指摘してください。
私の解釈がおかしいなら、朝鮮人以外の例でいろいろ問題が発生するはずです。私はあなたの解釈で発生する実際の問題についてきちんと指摘しています。その指摘のどこがどのように間違っているのかを教えていただければ結構です。
まずは、朝鮮での対人主権は失われたのに、在朝鮮朝鮮人への対人主権は喪失する一方在朝鮮日本人への対人主権は維持出来る理由、またその理由に基づいて在日朝鮮人への日本の対人主権が維持出来る理由を教えてください。



▼R 2009/12/30 01:11
>まずは、朝鮮での対人主権は失われたのに、在朝鮮朝鮮人への対人主権は喪失する一方在朝鮮日本人への対人主権は維持出来る理由

「朝鮮での対人主権は失われた」とは言ってませんよ。 実際は、「日本は対人主権を持」つが「日本の統治権は(朝鮮にまで)及ばない」と言ったのですが、その意味は、在外邦人に対する対人主権が滞在国の領土主権の制限を受けても、日本の日本人への対人主権が失われるわけではないということです。 他方、「在朝鮮朝鮮人への対人主権」が喪失する(と考えられる)のは、サンフランシスコ平和条約によって日本が「朝鮮に対する全ての権利」を放棄したからです。

>またその理由に基づいて在日朝鮮人への日本の対人主権が維持出来る理由を教えてください。

何度も書きましたが、サンフランシスコ平和条約の第2条(a)の条文の一義的な解釈として在日朝鮮人日本国籍喪失を導き出すことができないからです。 条約は朝鮮の領土権に関する規定があるのみで、国籍に関する規定がないため、仮に「朝鮮に対する全ての権利」の中に国籍が含まれるとしても、どこまでの範囲の人がそれに含まれるかが明白ではありません。 当時、植民地独立の際、旧植民地出身者に居住地の国籍を認めるのが国際慣例化していました。 日本政府もそのような世界の先例に倣おうとしていたのは以下の発言からも明らかです:

<堀内内相>45年12月5日、衆議院選挙法改正委員会
  「内地に在留する朝鮮人に対しては、日本の国籍を選択しうることになるのが、これまでの例であり、今度もおそらくそうなると考えています」
<川村外務政務次官>49年12月21日、衆議院外務委員会
  「(国籍選択については)だいたい本人の希望次第決定される、ことになるという見通しをもっている」
(以上、半月城通信 No.25より抜粋:http://www.han.org/a/half-moon/hm025.html#No.199

結局、サンフランシスコ平和条約に国籍に関する明確な規定が無いので、当該条項によって在日朝鮮人日本国籍が喪失したのかどうかが明らかではないわけです。 つまり、「在日朝鮮人への日本の対人主権が維持出来る」のは、在日朝鮮人日本国籍の喪失を規定した国際法も国内法も存在しないし、朝鮮の国家との間に国籍に関する条約も存在しなかったからです。



■G 2009/12/30 02:44
> 「朝鮮での対人主権は失われた」とは言ってませんよ。 実際は、「日本は対人主権を持」つが「日本の統治権は(朝鮮にまで)及ばない」と言ったのですが、その意味は、在外邦人に対する対人主権が滞在国の領土主権の制限を受けても、日本の日本人への対人主権が失われるわけではないということです。他方、「在朝鮮朝鮮人への対人主権」が喪失する(と考えられる)のは、サンフランシスコ平和条約によって日本が「朝鮮に対する全ての権利」を放棄したからです。

この主張を見れば判るように、Rさんは対人主権の基準点でダブルスタンダードを取ってるんです。
1) 内地人の基準は帰属している場所(内地に住んでいなくても内地に帰属していれば日本の対人主権が及ぶ)
2) 在日朝鮮人の基準は住所(内地に住んでいれば朝鮮に帰属していても日本の対人主権が及ぶ)
という判断基準だから、在日朝鮮人は国籍離脱しないという結論になるんです。

1)の基準でいえば、帰属が問題ですから、
在朝鮮内地人の場合:「内地に住んでいない&内地に帰属している→日本の対人主権が及ぶ」
在朝鮮朝鮮人の場合:「内地に住んでいない&朝鮮に帰属している→日本の対人主権が及ばない」
であり、帰属を基準にする限り
在日朝鮮人の場合 :「内地に住んでいる&朝鮮に帰属している→日本の対人主権が及ばない」
としか言いようがありません。しかし、これでは期待した結論がでて来ないので、在日の場合だけ2)となるわけですね。

2)の基準でいえば、住んでいる場所が問題ですから、
在日朝鮮人の場合 :「内地に住んでいる&朝鮮に帰属している→日本の対人主権が及ぶ」
在朝鮮朝鮮人の場合:「内地に住んでいない&朝鮮に帰属している→日本の対人主権が及ばない」
となるものの
在朝鮮内地人の場合:「内地に住んでいない&内地に帰属している→日本の対人主権が及ばない」
とならなくてはなりません。Rさんの主張がどうおかしいか判ってもらえましたか?

対人主権の放棄が朝鮮という領域内に限られたものだというのであれば、朝鮮内での内地人に対する対人主権も放棄されねばなりません。領域内で放棄したんだから、領域の中に居る日本の対人主権下にあるものは等しく国籍を喪失しないとおかしい。そうじゃなくて領土に帰属する者について放棄したのであれば、内地に帰属する内地人の対人主権は維持出来ますが朝鮮に帰属する在朝鮮朝鮮人在日朝鮮人への対人主権が放棄されることになるわけです。

それから、前にも書きましたが
<堀内内相>45年12月5日、衆議院選挙法改正委員会
<川村外務政務次官>49年12月21日、衆議院外務委員会
などは、「国籍選択制度を設定するかどうか」の可能性についての議論であって、この議論の結果必要ということになれば「特別の条件を平和条約に設ける(西村条約局長の答弁)」という事になったわけですが。
西村条約局長は「特に日本人としていたいとの希望を持っておられる諸君のために、特別の条件を平和条約に設けることの可否という問題になるわけです。」という内容の発言をしているのか、西ドイツの裁判所が在独オーストリア人にドイツ国籍を認めた事がなぜ国際問題化したかを良く踏まえながら考えれば容易に理解出来る事です。
少なくとも当時の常識として、領土がある国から分離するならそこに「属する」者の国籍も喪失するのが当然だったわけです。だから独立に際して国籍に関してあれこれ規定していたり、西ドイツの裁判所のように条約の定めもないまま分離した領土に帰属している者に従前の国籍存在を確認してしまうと対人主権の侵害となって国際問題化するわけです。その結果「特別の条件を平和条約に設けることの可否」をドイツ・オーストリアが議論した結果の国籍選択制度です。同様の議論は日韓国交回復の交渉過程でも存在し、それを韓国が大統領裁定で拒否したという記録が少なくとも1951年末〜1952年春にかけての公開文書にあります。



▼R 2010/01/04 23:32
>この主張を見れば判るように、Rさんは対人主権の基準点でダブルスタンダードを取ってるんです。

あなたが私の発言を誤解した上で曲解されているだけなんですが。あまりに自分の考えに固執されるから、他人のコメントを正しく理解できないのでしょうね。 それにしてもあなたのコメントには独り善がりな自己解釈が目立ちます。

>2) 在日朝鮮人の基準は住所(内地に住んでいれば朝鮮に帰属していても日本の対人主権が及ぶ)

「朝鮮に帰属していても」なんてどこにも書いてませんよ。 あなたが他人が言ってもないことを手前勝手な解釈で決め付けて書いているだけなんです。 無論、在日朝鮮人が事実“朝鮮に帰属しているなら”日本の対人主権は及ばないでしょう。 しかし、何度も書いたように、サンフランシスコ平和条約には国籍に関する規定がなく、従って、どこまでの範囲の人が朝鮮に帰属するかが明白ではないので、在日朝鮮人日本国籍が条約によって喪失されるかどうかが分からないと言ってるのです。 つまり、平和条約だけでは在日朝鮮人日本国籍は喪失され得ないということです。(在朝鮮朝鮮人の国籍についても規定が条約にないという点では同じですが、少なくとも彼らが朝鮮の国籍を正式に得た時点で、日本国籍を喪失することに疑問余地がないでしょ?)

>在朝鮮内地人の場合:「内地に住んでいない&内地に帰属している→日本の対人主権が及ばない」とならなくてはなりません。Rさんの主張がどうおかしいか判ってもらえましたか?

あなたの誤解に基づく曲解がいかに突飛な解釈を生んでしまうかがよく判るだけなんですが。

>西村条約局長は「特に日本人としていたいとの希望を持っておられる諸君のために、特別の条件を平和条約に設けることの可否という問題になるわけです。」という内容の発言をしているのか、西ドイツの裁判所が在独オーストリア人にドイツ国籍を認めた事がなぜ国際問題化したかを良く踏まえながら考えれば容易に理解出来る事です。

西村条約局長の発言は西ドイツの件とは関係がありません。 あなたは度々それを引っ張り出しては自論に援用されますが、その件は在独オーストリア人に国籍選択権を付与しないでドイツ国籍を強制したことが問題となったのであって、国籍選択権の付与が「国際問題化した」わけではありません。 結局、在独オーストリア人に国籍選択権を付与することで決着が付いたのですから、むしろ国籍選択権を付与しなかったことが問題となった例なのです。
日本をみれば、事実は、以下に引用した当時の日本当局者の発言の中に、仰るようなドイツ国籍問題や大韓民国在日朝鮮人への対人主権宣言に対する懸念を表明するような内容は一言半句もないわけです。 あなたの意に反して、日本国内の少数民族問題を懸念する吉田首相の発言のみが唯一日本が国籍選択権の付与をを躊躇する理由としてみられるだけですから、国籍選択権を付与しないとの決定はあくまで日本の国内問題として検討され判断されていたことが分かるというものです。 ちなみに、左記の吉田首相の「国籍選択問題については慎重に考えるべき」との発言はサンフランシスコ平和条約締結後のものですから、条約に国籍条項が設けられなかったということは在日の日本国籍得喪が日本政府の自由裁量に任されたことを意味する、ということの証明にもなっていますね。 「条約に特段の規定がないまま国籍選択制度を国内法で制定する事が条約に反する」とのあなたの主張は、明らかに誤りだということです。

(以下、半月城通信 No.25より抜粋)
  さて、日本では「国籍選択」はどのように扱われたのでしょうか。関係者の発言は次の通りです。
<堀内内相>45年12月5日、衆議院選挙法改正委員会
  「内地に在留する朝鮮人に対しては、日本の国籍を選択しうることになるのが、これまでの例であり、今度もおそらくそうなると考えています」
<川村外務政務次官>49年12月21日、衆議院外務委員会
  「(国籍選択については)だいたい本人の希望次第決定される、ことになるという見通しをもっている」
吉田茂首相>51年10月29日、衆議院平和条約特別委員会
  「(朝鮮人の)名前まで改めさせるなど、日本化に力を入れた結果、朝鮮人として日本に長く『土着』した人もいれば、また、日本人になりきった人もいる。同時にまた何か騒動が起きると必ずその手先になって、地方の騒擾その他に参加する者も少なくない。いいのと悪いのと両方あるので、その選択は非常に・・・、選択して国籍を与えるわけではありませんけれども、朝鮮人に禍を受ける半面もあり、またいい面もある。・・・特に、朝鮮人日本国籍を与えるについても、よほど考えねばならないことは、あなた(曾根議員)の言われるような少数民族問題が起こって、随分他国では困難をきたしている例も少なくないので、この問題については慎重に考えたいと思います」
<西村条約局長>51年11月5日、同上
  「かって独立国であったものが、合併によって日本の領土の一部になった。その朝鮮が独立を回復する場合には、朝鮮人であったものは当然従前持っていた朝鮮の国籍を回復すると考えるのが通念でございます。ですから、この(平和条約)第2条(A)には国籍関係は全然入っていないわけであります。日本に相当数の朝鮮人諸君が住んでおられます。これらの諸君のために、特に日本人としていたいとの希望を持っておられる諸君のために、特別の条件を平和条約に設けることの可否という問題になるわけです。その点を研究しました結果、今日の国籍法による帰化の方式によって、在留朝鮮人諸君の希望を満足できるとの結論に達しましたので、特に国籍選択というような条項を設けることを(連合国側に)要請しないことにしたわけです」
http://www.han.org/a/half-moon/hm025.html#No.199



■G 2010/01/05 02:13
あなたが「帰属」を基準とされているのは

> しかし、何度も書いたように、サンフランシスコ平和条約には国籍に関する規定がなく、従って、どこまでの範囲の人が朝鮮に帰属するかが明白ではないので、在日朝鮮人日本国籍が条約によって喪失されるかどうかが分からないと言ってるのです。

というあなたの文章ではっきりしましたね?であれば、帰属を定める基準と、在日朝鮮人と在鮮内地人の帰属がどうなるかを示さねばなりません。私の帰属の基準は極めて簡単で、日本(あるいは他国)の統治下にあるという正当性がどこにあるか?だけです。
・「内地への帰属」…内地の先占と平穏な統治を権原に国民とされた者
・「朝鮮への帰属」…韓国併合を権原として国民とされた者(併合がなければ大韓帝国民)
です。朝鮮人と言われる人たちには、もし自分あるいは夫の先祖が大韓帝国臣民であり、「大韓帝国韓国併合による日本人化」がなければ自分が現在日本人であると言えない人たちです。台湾人は割譲による日本人化が根拠の人たち、内地人はそのような権原に関係なく日本人であると言える人たちです。このようにはっきりと区別されており、

> どこまでの範囲の人が朝鮮に帰属するかが明白ではない

等という事はありません。Rさんが「帰属」の基準を明らかにされれば済む話ですが、その基準が在日の場合だけ居住地になってるんですよね。なぜ在日朝鮮人が「内地に居れば帰属が朝鮮でない可能性があるのか?」という理由を説明されないからおかしくなるのです。今住んでいる場所を日本が支配していれば日本に帰属する、っていうんであれば、それは帰属と称しながらただの住所による区別を主張しているだけですね。

> (在朝鮮朝鮮人の国籍についても規定が条約にないという点では同じですが、少なくとも彼らが朝鮮の国籍を正式に得た時点で、日本国籍を喪失することに疑問余地がないでしょ?)

そんなことはありません。そこが勘違いです。単に他国が対人主権を宣言するだけでは日本の対人主権が侵される理由がありませんよ?単に日本と朝鮮の政府の間で紛争状態が発生するだけです。
日本の対人主権の主張が否定されるのは、日本のすべての権原・権利・請求権放棄を規定している平和条約があるからです。だから条約発効までは「どこにいようとも」日本国籍が維持されていたという見解が取られており、内地でも朝鮮人日本国籍であるとされていたわけです。

> その件は在独オーストリア人に国籍選択権を付与しないでドイツ国籍を強制したことが問題となったのであって、国籍選択権の付与が「国際問題化した」わけではありません。

繰り返しておきますが、ドイツ国籍を主張出来る正当性がないのにドイツ国籍の選択は出来ません。オーストリアがドイツへの帰属を望む者がドイツの主権下に入る事を認めているからこそ国籍選択制度が導入出来るんです。このオーストリアの同意がない限り、通常の帰化による手続きとなってしまいます。

> 国籍選択権を付与しないとの決定はあくまで日本の国内問題として検討され判断されていたことが分かる

とおっしゃいますが、そりゃ日本側だって考えますよ。清瀬の主張7) の懸念の通り日本の朝鮮支配への意欲ありと取られるのはまずいわけですし、清瀬に始まり西村局長の指摘する通り、条約に必要な例外規定を盛り込まないと実現出来ませんから。
しかし、そもそも朝鮮側が同意していない事を無視されるのはどうしてですか?その証拠の一例として1951〜1952年に掛けての日韓交渉での韓国側からの国籍選択制度の否定の説明の記録を挙げているわけですが?たとえば先に出した昭和27年2月の「国籍処遇問題に関する日韓非公式会談」の記録の
・韓国内で年長者中心の理想論的な血統主義派と若手中心の実利的な国籍選択権派で意見が分かれている
・大統領裁定で国籍選択権を認めないと決めた
・しかしながら在日保護が薄いという在日からの韓国政府への非難が少なくなるので国籍選択権を与える方がいいという意見もまだくすぶっていて困っている
というような内容です。このように平和条約発効以前に韓国側が大統領裁定で国籍選択制度を否定していますので、日本で一方的に行うことは出来ません。ドイツの国籍選択制に当てはめれば、オーストリア側が選択制度を否定してしまった状態にあったわけですね。ということで、双方の合意があったドイツでの国籍選択を、少なくとも朝鮮側が反対している在日朝鮮人に当てはめるのは適切ではありません。

それから横レスですが
> 「日本国籍の法的根拠が無くな」ってるとあなたが勝手に思ってるだけじゃないですか。日本国籍が法的に喪失されなければ、日本国籍は法的に保持されたままである。

朝鮮人日本国籍は朝鮮戸籍令という法令で定められていましたが、その法令自体が条約発効で完全に効力を失いました。ですので、法的に喪失どころか、その法令自体が無効になっちゃってます。「俺は日本人だ!」「根拠法は?」「朝鮮戸籍令だ!」「そんな法令もうないよ」で終わりってことです。



▼R 2010/01/08 22:52
>「大韓帝国韓国併合による日本人化」がなければ自分が現在日本人であると言えない人たちです。

歴史的事実に反する仮定の議論は全く意味がありませんね。 「大韓帝国韓国併合による日本人化」がなければ現在の在日朝鮮人の存在もなかったのですから。 実際に「大韓帝国韓国併合による日本人化」があったからこそ彼らが日本に住んでいるのであって、歴史の後戻りは出来ませんよ。 36年間の植民地統治の間に、併合がなければ朝鮮半島に留まったはずの人々が多数国外に移住し、結婚をして家庭をもち、子どもをもうけて生活を重ねてきたのです。 さらに、大韓帝国には国外移住者や国外で出生した者の国籍に関する法規定がなかったので、もはや韓国併合後に出生して国外に居住している人々を含めて誰が朝鮮に帰属するかを決めることなど不可能なことです。

>その基準が在日の場合だけ居住地になってるんですよね。なぜ在日朝鮮人が「内地に居れば帰属が朝鮮でない可能性があるのか?」という理由を説明されないからおかしくなるのです。

要約すれば、植民地独立の際は居住地の国籍を認めることが国際慣例になっていたので、国籍条項のないサンフランシスコ平和条約では在日朝鮮人日本国籍を喪失させることが出来ないのです。 と、何度か説明しているのですが、意図的か無意識なのか、あなたは理解しようとしませんね。

>今住んでいる場所を日本が支配していれば日本に帰属する、っていうんであれば、それは帰属と称しながらただの住所による区別を主張しているだけですね。

植民地独立の際に居住地に基づいて植民地出身者の国籍を認めることを、私が独自に主張しているのではなく、それが当時の国際慣例だったのです。 また、日本政府当局者も同様の認識をもっていたわけです。 あなたの主張は、そのような歴史的事実に反するものです。

>> 国籍選択権を付与しないとの決定はあくまで日本の国内問題として検討され判断されていたことが分かる
>とおっしゃいますが、そりゃ日本側だって考えますよ。清瀬の主張7) の懸念の通り日本の朝鮮支配への意欲ありと取られるのはまずいわけですし、清瀬に始まり西村局長の指摘する通り、条約に必要な例外規定を盛り込まないと実現出来ませんから。

天皇制に反対する植民地出身者の参政権を阻止するための清瀬の詭弁と、例によって木に竹を接ぐかのようなあなたの作り話ですね。 国籍選択権の付与が「条約に必要な例外規定を盛り込まないと実現出来ません」というのは嘘ですから。 

以下、前回の私のコメントを引用します:
ちなみに、左記の吉田首相の「国籍選択問題については慎重に考えるべき」との発言はサンフランシスコ平和条約締結後のものですから、条約に国籍条項が設けられなかったということは在日の日本国籍得喪が日本政府の自由裁量に任されたことを意味する、ということの証明にもなっていますね。 「条約に特段の規定がないまま国籍選択制度を国内法で制定する事が条約に反する」とのあなたの主張は、明らかに誤りだということです。
つまり、あなたが仰るように平和条約に「特段の規定がないまま国籍選択制度を国内法で制定する事が条約に反する」のなら、もはや国籍選択制度を考える余地などないのです。 日本が条約締結後に国籍選択権の付与について議論する必要など全くないわけです。 にもかかわらず、吉田首相が「この問題については慎重に考えたいと思います」と述べたのは、実は平和条約だけでは在日朝鮮人日本国籍の喪失にならない、国籍選択権の付与が日本の自由裁量に任された、ということの証明だということです。 吉田首相ほか日本の政治家、および日本政府当局者が、揃いも揃って国際条約に疎い大ばか者でなければね。 もう、これであなたとの議論は終わっていると思うのですが、まだ意地張りますか?

>しかし、そもそも朝鮮側が同意していない事を無視されるのはどうしてですか?

日本の国内法に対して、外国の意思が何らの法的拘束力もありませんから。

>このように平和条約発効以前に韓国側が大統領裁定で国籍選択制度を否定していますので、日本で一方的に行うことは出来ません。

二国間で国籍についての正式な条約を結んでない以上、そのような主張は明らかな嘘です。 あなたが日本を主権国家と認めないというなら話は別ですが。

>それから横レスですが、朝鮮人日本国籍は朝鮮戸籍令という法令で定められていましたが、その法令自体が条約発効で完全に効力を失いました。ですので、法的に喪失どころか、その法令自体が無効になっちゃってます。「俺は日本人だ!」「根拠法は?」「朝鮮戸籍令だ!」「そんな法令もうないよ」で終わりってことです。

まったく誤りです。「朝鮮戸籍」は日本の国内制度であって大韓帝国の制度ではありませんよ。サンフランシスコ平和条約が、朝鮮に帰属する権利を放棄することを求めても、日本に帰属するものを放棄することを求めていませんが? すなわち、「朝鮮戸籍」は、日本が日本国籍者である朝鮮人を血統的に差別するために創設した日本の制度であって、それが敗戦によって時代にそぐわなくなったのであれば、日本が自主的に改正すれば済む話なのです。 韓国と日本とでは戸籍の運用が異なるので、日本固有の旧習の家制度に基づく「朝鮮戸籍」でもって朝鮮の新国家に帰属する者を決めるのは無理というものです。 結局、「日本国籍が法的に喪失されなければ、日本国籍は法的に保持されたままである。」ということにならざるを得ないわけです。



■G 2010/01/09 02:12
> 歴史的事実に反する仮定の議論は全く意味がありませんね。

いえいえ、なぜ日本が朝鮮人を支配してよかったのか?という理由を確認してるだけです。韓国併合がなければ日本に支配される言われのなかった人たちが朝鮮人です。韓国併合がなければ内地で暮らすこともできなかった人たちなわけです。Rさんの主張を取れば、多くの帝国主義を取っていた国々は植民地支配の権益を失う必要はなかったでしょうね。

> 要約すれば、植民地独立の際は居住地の国籍を認めることが国際慣例になっていたので

なっていないからこそ、Rさんが何度も例示されている在独オーストリア人の国籍選択なんて話が出て来たんじゃないですか?そもそもの発端は西ドイツの裁判所が在独オーストリア人にドイツ国籍を認めた事であり、それがオーストリアの対人主権侵害であるとして国際問題化し、結果「一旦在独オーストリア人がドイツ国籍を喪失した事を確認した上で」国籍選択制を導入するという結果になったんじゃないですか?

国際慣例に従うなら
・西ドイツの裁判所の判決は何ら問題はない
オーストリア側には対人主権を主唱する正当性はない
ドイツ国籍の一斉喪失規定は国際慣例に反する行為
であり、Rさんの立場からはこんな風に国際慣例に反した在独オーストリア人の国籍選択制度を真似するわけにはいきませんね?住んでいる所がドイツであった在独オーストリア人は国際慣習上ドイツ国籍でなくてはならない、ということになるわけですから。

> 左記の吉田首相の「国籍選択問題については慎重に考えるべき」との発言はサンフランシスコ平和条約締結後のものですから、条条約に国籍条項が設けられなかったということは在日の日本国籍得喪が日本政府の自由裁量に任されたことを意味する、ということの証明にもなっていますね。

在独オーストリア人の国籍選択制度の実現の例を当てはめてみれば分かる話です。締結後でも日本と韓国の間でドイツとオーストリア同様に国籍選択に関する合意が出来ていれば問題ありません。しかし、この吉田首相の発言の後の51年冬〜52年春の日韓の交渉過程で韓国側から「大統領裁定で国籍選択制度を認めないこととなった」と伝えられているのですよ。なので、残念ながらドイツとオーストリアのような選択制度の導入は、少なくとも韓国側の反対で否定されている、というのが歴史的事実です。
繰り返しておきますが、私は平和条約後に「特段の規定」を日韓の合意のもとに制定したのであれば、国籍選択制をとることは何ら問題ないと考えていますよ。実際は少なくとも韓国は反対していますから、現時点で合意が成立する見込みはないでしょうけどね。ともあれ、そのような国際法上の特段の規定を日韓の間で定めない限り、従来の平和条約が有効です。ですので、国籍選択制度を日本が勝手に国内法で制定して実施する事はできないと言っているだけです。
ですから、韓国政府に国籍選択制を提案するよう働きかけてはどうですか?と言っているのです。在日朝鮮人に対する対人主権を実際に宣言しているのは(日本が認める朝鮮半島唯一の合法政府としては)韓国なのですから。

> 「朝鮮戸籍」は日本の国内制度であって大韓帝国の制度ではありませんよ。 

私は朝鮮戸籍の話なんかしてませんよ?朝鮮戸籍「令」という法令の話ですよ。ここに内地の戸籍法にはなかった「日本人の子は日本人である」というような条文があり、実はこれ以外に朝鮮人を日本人とする明文規定はなかったんです。朝鮮戸籍「令」は日本が朝鮮半島統治権に基づき朝鮮で公布した朝鮮人の服するべき命令であり、この命令に服従させられていた者はまさに「朝鮮統治」を受けているわけです。で、その命令の中に「日本人の子は日本人である」という規定があったおかげで、併合で日本人となった朝鮮人の子孫たちも「俺たちも日本人だ」と堂々と言えたわけです。朝鮮戸籍に登載されているかどうかとは直接関係ありません。もちろん命令を忠実に守っていれば、命令の通り朝鮮戸籍にも登載されているはずですが、登載されていなくても命令に従うべき者なら、この朝鮮戸籍令の規定を根拠に日本人と言えるのですよ。
しかし、朝鮮統治が終わったら朝鮮統治に基づく命令は効力を失います。すると朝鮮戸籍「令」に含まれていた、朝鮮人が日本人と言える明文規定も失効してしまいますので、朝鮮人の子孫たちが日本人だと言い張る法的根拠が無くなります。法的根拠がない以上、法律上日本人とは言えませんから国籍を認めることはできないのです。
よく朝鮮戸籍に載っているかどうかで判断されたと誤解されている方がいますが、最高裁の判決などをちゃんと読めば判るように「朝鮮戸籍に登載されるべき者」という表現を使っています。載っているかどうかではなく、朝鮮統治に基づく命令に従う事を義務づけられて居る者は例外なく朝鮮戸籍に登載することが義務づけられていた、という事を利用しているに過ぎません。
本質は朝鮮統治に基づく命令に従う義務があったかどうかで、義務があったのは韓国併合で日本人となった者あるいはその子孫、そしてそれらの者と結婚したり養子になったりした者であったわけです。日本とこれらの者は世界中どこに居ようと「朝鮮統治」で結びついていたわけです。しかし日本はその朝鮮統治を終了したわけです(もちろん平和条約が発効したからです)。そうなるとこれらの者と日本を結びつけるものは何も無くなり、日本の対人主権から離脱することになります。



▼R 2010/01/14 22:05
>> 要約すれば、植民地独立の際は居住地の国籍を認めることが国際慣例になっていたので
>なっていないからこそ、Rさんが何度も例示されている在独オーストリア人の国籍選択なんて話が出て来たんじゃないですか?

西ドイツは、日本のように植民地出身者の国籍を一方的に剥奪するのではなく、在独オーストリア人に居住地の国籍を保障しようとしたわけですが、そのことが国際慣例と合致しているのです。 つまり、私が述べているのは、当時世界で植民地独立の際に旧宗主国が必ずしも国内に在住する植民地出身者の国籍を喪失させようとしたのではなく、むしろ国内法によって居住地の国籍を保障する努力をしてきたということです。 旧支配国がそのような国際慣行を積み重ねる中、日本政府も在日朝鮮人国籍選択の自由を認めることを国際慣例と認識し、それに倣おうとしていたということが以下の発言で分かります。
<堀内内相>45年12月5日、衆議院選挙法改正委員会
  「内地に在留する朝鮮人に対しては、日本の国籍を選択しうることになるのが、これまでの例であり、今度もおそらくそうなると考えています」
<川村外務政務次官>49年12月21日、衆議院外務委員会
  「(国籍選択については)だいたい本人の希望次第決定される、ことになるという見通しをもっている」

>Rさんの立場からはこんな風に国際慣例に反した在独オーストリア人の国籍選択制度を真似するわけにはいきませんね?住んでいる所がドイツであった在独オーストリア人は国際慣習上ドイツ国籍でなくてはならない、ということになるわけですから。

ずっと以前から在日朝鮮人には国籍選択権が保障されるべきだと主張しているのですが。

>>左記の吉田首相の「国籍選択問題については慎重に考えるべき」との発言はサンフランシスコ平和条約締結後のものですから、条約に国籍条項が設けられなかったということは在日の日本国籍得喪が日本政府の自由裁量に任されたことを意味する、ということの証明にもなっていますね。
>吉田首相の発言の後の51年冬〜52年春の日韓の交渉過程で韓国側から「大統領裁定で国籍選択制度を認めないこととなった」と伝えられているのですよ。

「伝えられている」とは、ただの風聞をあなたは自論に援用しようとされるのでしょうか? 残念ながら私は未だそのような話を信じるに足る記録に接していませんので、確かなソースを示していただければ有難いです。

>残念ながらドイツとオーストリアのような選択制度の導入は、少なくとも韓国側の反対で否定されている、というのが歴史的事実です。

Mさんのエントリによれば、大韓民国在日韓国人への対人主権宣言をマッカーサー連合国司令長官に送ったのが1949年10月7日ですが、その約2ヵ月半後の1949年12月21日に、日本の川村外務政務次官衆議院外務委員会で、「(国籍選択については)だいたい本人の希望次第決定される、ことになるという見通しをもっている」と述べています。 これが正に歴史的事実なのです。
大韓民国の宣言による「国籍選択権の否定」にもかかわらず、日本がこのような発言ができたということは、国籍選択権の付与が韓国側の反対では否定され得ないことの一つの証左といえますね。 在日朝鮮人に対する国籍選択権に関する立法は日本の国内法ですから、当然といえば当然の話なのですが。 当時日本は連合国の意向の範囲内で国内政治を行っていましたので、そのような国籍選択権の付与は、GHQの指導もしくは承認の上で行われようとしていたのは明らかです。

>私は平和条約後に「特段の規定」を日韓の合意のもとに制定したのであれば、国籍選択制をとることは何ら問題ないと考えていますよ。

「何ら問題ない」とは法的なことを仰っているのでしょうか? いずれにせよ、国籍の得喪は国内管轄事項というのが国際法の原則ですから、在日朝鮮人の国籍に関する国際条約が締結されていない以上、他国がとやかく言えませんね。 前述のとおり、日本の国内法に対して他国の意思が何らの法的拘束力もありませんから。 サンフランシスコ平和条約に国籍条項が存在せず、韓国や北朝鮮が平和条約の当事者でもないので、条約だけで在日朝鮮人日本国籍を喪失させることは無理なのです。 だからこそ、吉田首相以下日本の政治家および政府当局者が、平和条約締結後にもかかわらず、平和条約特別委員会なるものを開いて国会で在日朝鮮人日本国籍得喪についてどう対処すべきかを議論していたわけです。 すなわち、それが、在日朝鮮人日本国籍得喪が日本政府の自由裁量に任されていたことの証明なのです。

>>「朝鮮戸籍」は日本の国内制度であって大韓帝国の制度ではありませんよ。
>私は朝鮮戸籍の話なんかしてませんよ?朝鮮戸籍「令」という法令の話ですよ。

『朝鮮戸籍「令」』は日本の国内政治のための法令であって大韓民国の法令ではありませんよ。 サンフランシスコ平和条約が、朝鮮に帰属する権利を放棄することを求めても、日本に帰属するものを放棄することを求めていませんが? すなわち、『朝鮮戸籍「令」』は、日本が日本国籍者である朝鮮人を血統的に差別する制度を創設するために出した法令であって、もしその法令による制度が敗戦によって時代にそぐわなくなったのであれば、日本が自主的に改正するか、新たな法律を作るなどして対応すれば済む話です。



■G 2010/01/15 02:09
> つまり、私が述べているのは、当時世界で植民地独立の際に旧宗主国が必ずしも国内に在住する植民地出身者の国籍を喪失させようとしたのではなく、むしろ国内法によって居住地の国籍を保障する努力をしてきたということです。

その努力こそが当時の常識としてもおかしいからこそ、オーストリアの対人主権を侵害したとして国際問題化したわけですよね?つまりRさんの主張は、同様の国際問題を起こせ、と言ってらっしゃるわけですね。しかもドイツが国内法(判決)によって認定したはずの国籍はさかのぼって喪失したものとされ、改めてドイツとオーストリアの間での合意に基づく国籍選択制度が作られたのですよね?Rさんとしては、ドイツとオーストリアの例は参考にしてはいけない国際慣例に反する解決だと言う事ですね。

> 残念ながら私は未だそのような話を信じるに足る記録に接していませんので、確かなソースを示していただければ有難いです。

例えば昭和27年2月15日の国籍処遇問題に関する日韓非公式会談議事録です。これは日韓の公開文書として公開されています(外務省からも公開されています)し、このような会談議事録は条約等の解釈における根拠と出来るものであることがパリ条約(国際条約に関する条約)に規定されています。

> 日本がこのような発言ができたということは、国籍選択権の付与が韓国側の反対では否定され得ないことの一つの証左といえますね。 

ちょっと待ってください。西村局長が選択制を行う上での国際法上の問題点を指摘してるじゃないですか。過去の発言はそこらへんに言及していないだけで、仮に行われる場合は必要な法的整備をした上で選択制度が行われるなんてのは当たり前の事です。

> 当時日本は連合国の意向の範囲内で国内政治を行っていましたので、そのような国籍選択権の付与は、GHQの指導もしくは承認の上で行われようとしていたのは明らかです。

GHQは解放国民として…の路線を変えた事はありませんので、離脱は離脱として粛々と勧められていましたね?というか、各国会の発言は見通しを述べているだけですけど。どうやら、GHQが国籍問題に関して日韓双方に斡旋案を出していた事はご存じないようですね。昭和26年11月26日にGHQが出した国籍問題に関する斡旋案は

・条約発効の時点で在日朝鮮人をあらゆる点で一般の外国人として扱う事
・ただし過去に日本人であった経緯を考慮し、永住権、日本人にのみ認められる占有権等の維持に関する配慮、帰国時の個人資産に関する配慮をするべき
というものでしたから、国籍選択権に関してはなんら考慮していない事は明白ですね。これも公開文書として公開済みです。

>国籍の得喪は国内管轄事項というのが国際法の原則ですから、

繰り返しておきますが、他の国際法に反しない範囲において、ですよ。国内管轄事項ってのは主権の認められる範囲でしか行使出来ませんが、在日朝鮮人にはその対人主権が及んでいないわけですから。

> 『朝鮮戸籍「令」』は日本の国内政治のための法令であって大韓民国の法令ではありませんよ。 

その通り。日本の朝鮮統治のための法令だから大事なんです。朝鮮戸籍令は日本の朝鮮統治の実体なんですよ。だから、朝鮮統治の終了とは、具体的にはこのような法令の失効や正当性の喪失を意味するんです。とすると、この法律を根拠とするあらゆるものが正当性を失ってしまうんですよ。そうしろ、ということが条約で規定されているわけだから、日本が国内法で国籍を自由に決めていい、なんて話は実際問題としても成立していないんです。国籍を決めるためにつくっていた法律が、国際条約による朝鮮統治の終了という包括的な表現で効力を否定されちゃってるんですから。



▼R 2010/01/26 00:02
>その努力こそが当時の常識としてもおかしいからこそ、オーストリアの対人主権を侵害したとして国際問題化したわけですよね?

旧宗主国の国籍を強制したことが個別の二国間で問題になっただけのことですよ。 それを特殊な事例にこじつけたところで、当時の常識がひっくり返るわけもありません。 領土変更時は居住地の国籍を認めるというのが当時の国際慣例であり、西ドイツはそれを踏襲しただけのことであって、最初から在独オーストリア人の自由意思を認めていれば何の問題も生じなかったのです。

>つまりRさんの主張は、同様の国際問題を起こせ、と言ってらっしゃるわけですね。

いいえ。というよりむしろ、大韓民国の対人主権宣言の後にもかかわらず、日本政府当局者が「(国籍選択については)だいたい本人の希望次第決定される」との見通しを表明することができたのは、まさしく日本政府自身が、国籍選択権の付与が国際紛争になるなどと考えもしない、あるいは、そのようなことを全く問題視していなかったことの何よりの証拠です。 そもそも日本政府が考えていたのは日本国籍の強制ではなく国籍選択権の付与であって、そのような国際慣例に沿った行為が問題になるなどと考える必要がなかったのです。

>ドイツとオーストリアの例は参考にしてはいけない国際慣例に反する解決だと言う事ですね。

あなたは視点を全く見誤っていますね。 西ドイツは、在日から一方的に日本国籍を剥奪して無国籍者に貶めた日本と違って、ドイツ国籍を喪失させながらも在独オーストリア人に「居住地の国籍を保障」しようとしました。 そのような西ドイツの努力を、国際慣例に合致すると私は主張しているのです。 国籍の取得については個人の自由意思が尊重されるべきであって、国籍選択権の付与がどのような形で行われるかを問題にしているわけではないのです。 戦後の日本当局者の「内地に在留する朝鮮人に対しては、日本の国籍を選択しうることになるのが、これまでの例であり」「「(国籍選択については)だいたい本人の希望次第決定される」という発言から、日本政府自身が個人の意思に基づく日本国籍の取得を国際慣例と認識していたことは明らかです。

>>残念ながら私は未だそのような話を信じるに足る記録に接していませんので、確かなソースを示していただければ有難いです。
>例えば昭和27年2月15日の国籍処遇問題に関する日韓非公式会談議事録です。

ですから、前々回のコメントであなたは「吉田首相の発言の後の51年冬〜52年春の日韓の交渉過程で韓国側から『大統領裁定で国籍選択制度を認めないこととなった』」と述べられたのですが、それを証明する議事録を出していただきたいのです。 「例えば・・・日韓非公式会談議事録です」というような曖昧な回答ではなく、具体的にあなたの発言を証明する部分を示して欲しいのですが?

>>日本がこのような発言ができたということは、国籍選択権の付与が韓国側の反対では否定され得ないことの一つの証左といえますね。
>ちょっと待ってください。西村局長が選択制を行う上での国際法上の問題点を指摘してるじゃないですか。過去の発言はそこらへんに言及していないだけで、

ちょっと待ってください。 「過去の発言」が「そこらへんに言及していない」ことをよいことに、またあなたの勝手な想像(あなたの場合は“創造”?)による架空の作り話で反論するつもりですか? 西村条約局長は、「選択制を行う上での国際法上の問題点」など一切指摘していませんよ。 在日朝鮮人日本国籍を喪失させることの根拠として、サンフランシスコ平和条約の日本政府の独自解釈を述べただけです。 彼の発言には韓国の対人主権宣言を懸念するような内容が微塵もなく、また「過去の発言」も「そこらへんに言及してい」ませんね。 それはなぜかというと、日本が国内問題の観点において日本の意思として国籍選択制を採らないことに方向転換したからです。 連合国や韓国の意思ではなく、日本の意思だったからこそ、「そこらへんに言及」する必要がなかったわけです。
当初国際慣例にならって国籍選択制を採用するつもりだった日本も、吉田茂首相ほかそれに反対する政治家の影響を受けて、選択制を採らない方向に政策転換していきました。 平和条約締結後の衆議院平和条約特別委員会における以下の発言が、如実にその事実を物語っています。

吉田茂首相>51年10月29日、衆議院平和条約特別委員会
  「(朝鮮人の)名前まで改めさせるなど、日本化に力を入れた結果、朝鮮人として日本に長く『土着』した人もいれば、また、日本人になりきった人もいる。同時にまた何か騒動が起きると必ずその手先になって、地方の騒擾その他に参加する者も少なくない。いいのと悪いのと両方あるので、その選択は非常に・・・、選択して国籍を与えるわけではありませんけれども、朝鮮人に禍を受ける半面もあり、またいい面もある。・・・特に、朝鮮人日本国籍を与えるについても、よほど考えねばならないことは、あなた(曾根議員)の言われるような少数民族問題が起こって、随分他国では困難をきたしている例も少なくないので、この問題については慎重に考えたいと思います」
<西村条約局長>51年11月5日、同上
  「かって独立国であったものが、合併によって日本の領土の一部になった。その朝鮮が独立を回復する場合には、朝鮮人であったものは当然従前持っていた朝鮮の国籍を回復すると考えるのが通念でございます。ですから、この(平和条約)第2条(A)には国籍関係は全然入っていないわけであります。日本に相当数の朝鮮人諸君が住んでおられます。これらの諸君のために、特に日本人としていたいとの希望を持っておられる諸君のために、特別の条件を平和条約に設けることの可否という問題になるわけです。その点を研究しました結果、今日の国籍法による帰化の方式によって、在留朝鮮人諸君の希望を満足できるとの結論に達しましたので、特に国籍選択というような条項を設けることを(連合国側に)要請しないことにしたわけです」
http://www.han.org/a/half-moon/hm025.html#No.199より抜粋)

上記、吉田茂首相の「選択して国籍を与えるわけではありませんけれども」との発言は、帰化制度を示唆し、「朝鮮人日本国籍を与えるについても、よほど考えねばならないことは、・・・少数民族問題が起こって、随分他国では困難をきたしている」との発言は、国内に少数民族問題が起こることを懸念して国籍選択権の付与に難色を示したものです。 一週間後の西村条約局長の発言は、まさにこの吉田茂の意向に沿ったものです。 そうするために西村条約局長は、在日朝鮮人日本国籍喪失を合理化する条約解釈をする必要がありました。 また、国籍の保障という観点において帰化制度が国籍選択制とはまるで意味合いが異なるにもかかわらず、「日本人としていたいとの希望を持っておられる諸君のために、・・・国籍法による帰化の方式によって、在留朝鮮人諸君の希望を満足できるとの結論に達しました」と言いつくろって、国籍選択制を採らないように強引に合理化しました。
前述のとおり、日本政府は国籍選択権の付与に関して大韓民国の対人主権宣言を一向に気にしていませんでした。 また、以前にも指摘しましたが、平和条約の締結は1951年9月8日であり、条約締結後に日本は上記のとおり平和条約特別委員会を開いて在日朝鮮人日本国籍をどうするかについて検討したわけですが、それはつまり、国籍条項のない平和条約だけでは在日朝鮮人の国籍が決められなかったからなのです。 領土変更時は居住地国籍推定の原則があるため、在日朝鮮人国籍選択権を付与するかどうかを決める必要があったわけです。 すなわち、在日の日本国籍得喪が日本の自由裁量に委ねられたということです。

>仮に行われる場合は必要な法的整備をした上で選択制度が行われるなんてのは当たり前の事です。

もちろん、そうですよ。 しかし、韓国の意向を斟酌する必要などありません。 上述のとおり、日本政府自ら国籍選択制を採らないことを決定してしまったのです。 以後、日韓交渉においては、その決定に沿って日本側から国籍選択制を提示することは一切なく、日本政府代表者は韓国政府代表者に対して、一方的に、在日朝鮮人日本国籍の喪失および韓国籍の取得を認めさせることに専念したのです。 むしろ、韓国側から「国際慣例により在日には国籍選択権が与えられる」との主張がなされましたが、日本政府はそれを受け付けませんでした。 つまり、在日朝鮮人日本国籍剥奪は、連合国の意思でもなく、韓国の意思でもなく、日本の意思によって行われたということです。

>GHQは解放国民として…の路線を変えた事はありませんので、離脱は離脱として粛々と勧められていましたね?

また嘘ですね。 GHQは1946年末に、朝鮮に引き揚げを拒否する在日朝鮮人は日本人と同一に扱うよう日本政府に指示しています。 また、南朝鮮軍政庁に勤務するアメリカ人、エドワード・W・ワグナーは、1951年に、「現下の事情を実際的に考慮したうえで、事情が許せば、朝鮮人は日本または朝鮮のいずれの市民権を選ぶかの明確な選択権を与えられるであろうし、かつ、日本人側が従来のように差別的慣行をつづけることや、朝鮮人が、日本・朝鮮の二重国籍を利用することを防ぐために、できる限りの保証規定が設けられるであろう」と当時の状況を自らの著書に述べています。

>昭和26年11月26日にGHQが出した国籍問題に関する斡旋案は・・・・・というものでしたから、国籍選択権に関してはなんら考慮していない事は明白ですね。

当たり前じゃないですか。 サンフランシスコ平和条約締結後に、日本が自らの意思で国籍選択制を採らないと決めた後ですから。 国籍の得喪は国家の国内管轄事項ですから、条約に国籍条項が無い以上、もはや連合国といえども他国に強制ができないのです。

>>『朝鮮戸籍「令」』は日本の国内政治のための法令であって大韓民国の法令ではありませんよ。
>その通り。日本の朝鮮統治のための法令だから大事なんです。朝鮮戸籍令は日本の朝鮮統治の実体なんですよ。だから、朝鮮統治の終了とは、具体的にはこのような法令の失効や正当性の喪失を意味するんです。とすると、この法律を根拠とするあらゆるものが正当性を失ってしまうんですよ。そうしろ、ということが条約で規定されているわけだから

相変わらずの独自解釈ですね。 サンフランシスコ平和条約が朝鮮に帰属する権利を放棄することを求めても、日本に帰属するものを放棄することを求めていませんよ。 そもそも朝鮮戸籍令が大韓帝国人を日本人にしたわけではないのですから、朝鮮統治が終わって昔の法令が時代にそぐわなくなれば、改正するなり、実状に則した法律を新たに作ればよいだけのことです。 現に日本国憲法と国籍法の作成によって日本国民たる要件が規定できたではありませんか。 このように、日本国籍得喪は国内法の問題に過ぎないのであって、平和条約は朝鮮の独立を承認して日本に朝鮮領域の主権を放棄させただけであって、日本領域における日本の主権を放棄させたわけではありません。



■G 2010/01/26 04:14
> 領土変更時は居住地の国籍を認めるというのが当時の国際慣例であり、

だったらドイツには在独オーストリア人に対して潜在的ドイツ国籍があると主張出来る権利があり、ドイツが「旧宗主国の国籍を強制したこと」が個別の二国間で問題になる理由がありませんね?国籍に不服であれば強制された在独オーストリア人がドイツ国籍を離脱すればいいのですから。それとも在独オーストリア人はドイツ国籍を離脱する事を禁じられていたのですか?

> 西ドイツは、在日から一方的に日本国籍を剥奪して無国籍者に貶めた日本と違って、ドイツ国籍を喪失させながらも在独オーストリア人に「居住地の国籍を保障」しようとしました。 

事実関係に余計な脚色をされる必要はありませんよ。だいたい、在日朝鮮人は無国籍じゃないですよ?韓国政府が韓国国籍を宣言してし、必要な国内法を整備していますから。そして韓国が自国の法令に基づき在日朝鮮人に国民登録を要請しているのに、その手続きを踏まない人がいるというのが朝鮮籍問題です。日本政府は韓国政府が韓国国籍を認める事に同意していますから、あとはご本人が手続きをなされればいいのですよ。ちょうど日本人の子として生まれながらも、手続きをとらないがために無戸籍状態になっている人たちと同じですね。彼等は無戸籍なだけでちゃんと日本国籍はあります。麻生前総理が外務大臣時代にパスポートの緊急発券したこともありましたよね?
さて、在独オーストリア人にドイツ国籍を持つ正当性があれば、ドイツ国籍を継続して維持出来たはずであり、少なくとも二重国籍状態であったと認められるはずです。正当性がないからこそドイツの国籍の主張が取り消され、一旦遡って喪失する事になった。その上でオーストリアとの間の合意に基づく国籍選択制の導入が行われてるわけです。

1) ドイツ国籍をさかのぼって喪失…潜在的ドイツ国籍の否定
2) 改めてオーストリアとの間での国籍選択制の導入…二国間の同意による国籍選択
ということですから、在日朝鮮人の場合2)が成立していませんから、1)の効力のみが残ってしまうわけですね。日本の場合朝鮮の帰属を含む日本の主権の範囲自体が最終的に確定したのが平和条約ですから、その時点で日本の対人主権から離脱した在日朝鮮人には1)の効力しか及ばないわけですね。
もともと、ドイツとオーストリア国籍選択制は在日朝鮮人国籍選択の理論的援用として用いられて来たものなんですが、これが特殊事例で参考に出来ない、とRさんがおっしゃっている

> 前々回のコメントであなたは「吉田首相の発言の後の51年冬〜52年春の日韓の交渉過程で韓国側から『大統領裁定で国籍選択制度を認めないこととなった』」と述べられたのですが、それを証明する議事録を出していただきたいのです。

どう示せば「出した」事になるのか判りませんので何とも言えませんが、既にその公開資料の公開されているサイトを紹介していますよ?そこをご覧になりましたか?色んな資料がありますよ。前に紹介した日韓会談文書・全面公開を求める会のサイト(アドレスはhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~nikkan/)の日本側公開文書をご覧になれば結構かと。
それを読んでもらえば判りますが、もともと、韓国側はポツダム宣言受諾を以て日本国籍を喪失し、韓国政府の樹立と韓国の国籍に関する法律の制定をもって在日朝鮮人の韓国国籍は確立したとの主張です。いずれにせよ日本国籍を喪失する事には異論がないという原則を確認した上で経過措置などの扱いの議論に入る、という事で始まったのですが、突如韓国から国籍選択制が持ち出され、それが再び引っ込められる、という事態になったのです。

たとえば、第四次公開分の「在日朝鮮人の国籍及び処遇問題に関する総司令部の斡旋」という文書の9ページ目には、在日朝鮮人日本国籍を喪失するべき事自体では双方が一致したので、原則論はさておき実質的な経過措置に関する話し合いに入ることになったことやその際の共同声明文が、18ページから韓国と日本との間での国籍喪失に関する意見の相違やSCAPの政策との整合性の取り方についての合意、また第五次公開分の「日韓会談記録(国籍処遇問題)(その3)」の6ページから12ページまでに韓国側の在日朝鮮人の国籍と法的地位に関する見解や要求、また「日韓会談記録(国籍処遇問題)(その5)」の49ページには、韓国代表が説明した突然の国籍選択制の提案から最終的な大統領裁定に至るまでの韓国政府内部の意思決定の混乱の様子なども書かれていますね。

> GHQは1946年末に、朝鮮に引き揚げを拒否する在日朝鮮人は日本人と同一に扱うよう日本政府に指示しています。

そりゃそうでしょう。帰属が定まるまでの暫定的な措置ですから。暫定的な措置と言い切れるのも、同時期に出されているGHQ総司令官への初期指令(外務省サイトにありますからご覧下さい)には、朝鮮人を解放国民として扱え、という指令がでていますし、他にも例えば上記サイトの資料のサリバンによる在日朝鮮人の国籍問題に関する斡旋案にあるように、条約発効で一般外国人とするという方針が示されているわけですし。

> 事情が許せば、朝鮮人は日本または朝鮮のいずれの市民権を選ぶかの明確な選択権を与えられるであろうし、

でしょうね。でも、それは日本を占領しているGHQの見解ではないですよね?当のGHQのサリバンの斡旋案や総司令官への指令などで明らかなように、GHQはそのような方針ではなかったわけですが。韓国政府も日本政府もGHQもそのような事情を認めなかったということでしょうね。

> サンフランシスコ平和条約が朝鮮に帰属する権利を放棄することを求めても、日本に帰属するものを放棄することを求めていませんよ。

では、一体いつの時点でどういう根拠で朝鮮人が日本に帰属することとなったのでしょうか?日韓併合条約の定めているのは、朝鮮の統治権を獲得した日本によって朝鮮が統治されることであって、朝鮮に帰属する者の身分関係には何ら変動がありませんが?朝鮮に帰属したままの朝鮮人が日本が朝鮮での統治権に基づいて出す命令に従っており、その命令が日本国籍や内地への移動や寄留を認めていただけでしょ?それが朝鮮統治の実体ですよね?朝鮮に帰属する者にも日本国籍を認める、という以上の規定はありませんよ?
だからこそ朝鮮統治が終了した時点で朝鮮人の国籍離脱が自動的に成立してしまいます。日韓双方の食い違いはその朝鮮統治の終了がいつなのか(日本は平和条約発効、韓国はポツダム宣言受諾)であって、朝鮮統治終了により朝鮮に帰属している者は自動的に日本国籍を離脱する点ではどちらも一致してるんですけど?「日韓会談記録(国籍処遇問題)(その3)」の6ページにもあるように、あなたの主張は朝鮮の合法政府である韓国政府によっても否定されています。

> 現に日本国憲法と国籍法の作成によって日本国民たる要件が規定できたではありませんか。 

日本の占領時を含め、内地人に対する日本の主権が一度たりとも否定された事はありませんから。日本政府の立場からすれば平和条約の発効によって日本の主権が朝鮮とそこに帰属する者に及ばなくなるわけであり、韓国政府の主張を借りれば「ポツダム宣言の受諾で日本の覇縛を離脱した」のであり、「これは国内にいる韓国人にしろ日本にいる韓国人にしろ何らの差異がない」上に、「UN総会の決議によって承認され大多数の民主国家によって個別に承認された独立」なのですから。

だいたい、
> 朝鮮統治が終わって昔の法令が時代にそぐわなくなれば、改正するなり、実状に則した法律を新たに作ればよいだけのことです。 

という主張自体が破綻しています。朝鮮人は内地にあっても朝鮮で施行された命令によって日本人と規定されていたんで、朝鮮統治が終わった時点で日本の命令が朝鮮人に及ばないんですってば。

天皇→(朝鮮統治の権利)→朝鮮総督府→(天皇の命令に基づく実務遂行)→朝鮮人

という支配構造で、その朝鮮人が内地での居住を認められていただけなんですよ。朝鮮統治自体が否定されている以上、その下にある朝鮮総督府は当然消滅しますし、同時に朝鮮人と日本の間の統治関係が消滅するわけです。統治関係が消滅してしまう以上、自国の主権が及ぶという主張は認められませんから、幾ら国内法を制定したって西ドイツの例を引くまでもなく国籍を喪失するのは必然です。
そのような在日朝鮮人に日本の主権が及び、日本の国内法だけで国籍を与えられるなどという主張は日本の帝国主義の存続を支持してるようなもんです。



(この議論は以下に続きます。)
「⑥日韓会談文書を中心に