・在日朝鮮人の日本国籍喪失をめぐるrubio1919さんとのやりとり

はじめまして。
「昭和27年に日本が主権を回復した際、日本政府はサンフランシスコ講和条約によって彼らを日本国籍から離脱したとみなした。これに対して「国籍選択権を与えなかった」という批判が近年出ている。しかし、激化する冷戦の下、当時は韓国と北朝鮮の双方とも、「在日コリアンは全員自国民であり、日本国籍選択権付与は独立を認めないことだ」と強く主張していたことなどが背景にあった点にも留意すべきであろう。」
http://jinf.jp/suggestion/archives/103
これによると、選択権付与は半島の独立を承認しないことにつながる主張していたらしいのですが。

投稿: furukotobumi | 2009年5月26日 (火) 17時04分




http://feblog.rmnv.mods.jp/?eid=70261

[誰が国籍を奪ったか]

ここにも、同様の議論がなされております。

投稿: furukotobumi | 2009年5月26日 (火) 17時41分





furukotobumiさん
>これによると、選択権付与は半島の独立を承認しないことにつながる主張していたらしいのですが

日本政府が在日朝鮮人日本国籍選択権を与えることが、大韓民国朝鮮民主主義人民共和国の独立とその承認に、どのような影響があるのか、教えて欲しい。 

日本統治下の住民に日本国籍を付与する権限は100%日本国にあるのは自明だが、日本政府が他国の主張によって自らの主権が制限されると考えるなら、むしろ、それこそ、日本政府自ら自国の独立を承認しないことになりますね。

投稿: rubio1919 | 2009年5月26日 (火) 20時04分




rubio1919さん。

僕はそういう応えを、待っていたのですよ。
あなたのそういう回答を待っていたのですよ。
日本人なら、このとき「相手の身になって」考えたんだってわかるんですよ。でも、こういう発想って、朝鮮人の方にはわからないでしょ。
日本の外交交渉が、このとき、もし、「相手の身になって」という発想方法をとったのだとしたら、国籍選択権なんて、考えもしなかったと思いますよ。半島がそうおっしゃるんだったら、という発想です。
でも、これはね、日本人以外、わからないと思うんです。

投稿: furukotobumi | 2009年5月26日 (火) 20時14分




furukotobumiさん

>でも、これはね、日本人以外、わからないと思うんです。

同意です。 日本人以外考えられないことです。 日本人ならではのことですね。

投稿: rubio1919 | 2009年5月26日 (火) 20時33分





rubi1919さんのはてなブログへはここから直接たどれないので、そこへのコメントをここにも重複して投稿させていただきます。お許しください。

furukotobumi 2009/05/28 21:04
ubio1919さん。

僕はね、以前k3altさんのとこで、日本人は特別だ、と書いたことがあります。それは、日本人はどこか「変だ」という意味と同義です。よくも悪くも「変」なんです。
それはね、前回のコメントで、「相手の身になって考えた」末の、日本在住の朝鮮戸籍登録者の日本国籍喪失だと申したでしょう。この場合、お互いの利益のぶつかる外交交渉の場でのしかるべき対決を避けて、「相手の身になって考え」てしまう日本人の”愚かさ”を、rubio1919さんも「変」だとお思いでしょう。
自分の主体的判断を捨てて(主権意識を捨てて)、それを横にのけておいて仲良く相手の言うことを飲めば対決も葛藤も存在しない、といういかにも日本人的な判断だったんだと思います。戦争に負けた、半島も返した、朝鮮人も当時戦勝国民面して暴れてた、この時代の「空気」の中で、半島の二つの国家に国籍選択権を拒絶されたとしたら、日本人の外交担当者は、「お返しする」気で、在日の日本国籍喪失ということになったんだと思います。現代の、法律論や主権論なんか、考えてなかったと思いますよ。ただただ、敗戦国ゆえのいたし方ありませんな、という感じだけだったんだと思います。
朝鮮人なら互いの自己主張を最大限に行って、その主張の間に共通一致点を見出すのが協力友好の基礎でしょう。でも、日本人と朝鮮人とでは、友好ということの意味合いがまるで違うのです。相手と別個に独立して利害の対立する自我を持つなんてことができないで、敵対しないためには自我をすすんで引っ込めようとするのです。でも、日本人が自我を捨てて(無私)仲良くしようとしたって、朝鮮人が自我を捨ててはくれるわきゃないのです。日本人同士ならそれでいいんですが、朝鮮人相手に、外交交渉の場で、それを「自然に(無意識的に)」やってしまうところが、日本人の日本人たるところなんです。
言い合いや論争してる間は決して交渉(関係)は断絶しないと思ってる朝鮮人にとっては、それがもっとも不可思議なところでしょう。rubio1919さんの質問は、朝鮮人として当然だったんです。日本が抱えてる外交問題の摩擦の多くは、ほとんどがこれが原因です。交渉の場で言いあいをすると、それがまるでなにか捨て台詞のように感じられるのです。福田元首相が「隣人の気にお障ることを言わないことが仲良くすると言うことだ」とかなんとか言ってたことがあるのですが、あれがまさに典型で、言わねばならん時に自我を抑えてしまう、だから、問題は一向に解決しないどころか、ますますこじれてくる。ある種の人間はここで時の流れに身をまかせ自然に問題がうやむやになり消えていくのを待つのですが、問題は、一向に、消えたりしないのです。
日本人にとって、ずっとその場の和だけが行動原理でした。みんなの意見が一致すればそれに従う。全員一致というか、反対派が納得しないと、場がまとまらないんですよ。おそらく、島国で平和で長年ずっとそうやって生きてきてしみついてしまった行動原理(発想方法)です。もともと、この列島に古代住み着いた人間は、大陸を押し出されたヘタレな人間たちだったんでしょう。
でも、朝鮮人(外国人)は違うでしょう。150パーセントお互い主張して(ふっかけて)段々折れていくのが普通でしょう。でも、日本人は最初控えめに70パーセントくらいから徐々にお互い歩み寄るんです。だから、目の前で徹底した自己主張にぶつかると、多くの日本人は、たまらなく不愉快になります。そして挙句の果てに「こちらがこんだけ譲ってるのに、お前らなんだ」と突然爆発しがちなのが、日本人です。半島や大陸で反日を叫んでる映像がしばしば流されますが、あれなんか、僕から見てるとたまらなく不愉快ですが、彼らにとっては、関係は断絶していないとでも考えてるんでしょう。

ですから、そうやって朝鮮戸籍を持つ人々を「お返しした」んだから、いったん日本国籍を喪失した朝鮮人は、この日本国にとっては、他人に過ぎません。これは極めて、日本人的な普通の感覚です。彼らは、朝鮮籍のままでいるか韓国籍を選べばいいだけの、他人(外国人)です。それ以降、在日に対しての責任は、戸籍と国籍のある、朝鮮半島の国家にあります。これが、私を含む日本人の大方の在日朝鮮人韓国人についての料簡です。
外国人は、日本では、日本国民としては、扱われません。

日本人は「寛容」だとも書きましたが、それは身内に対してはと寛容ですし、身内にならないで他人でいてくれる限りにおいては寛容だという意味です。
しかし、身内に入れるか入れないかというときだけはすごく厳しいです。アメリカならどんどん受け入れて、それから、徹底的に差別するでしょうが、日本人は、受け入れるときには厳しいですが、それからはほとんど差別しません。帰化されて実感されたでしょう。
でも、日本国家に対して、在日に対して、土下座しろ、謝れと主張されてる限りにおいては、日本国籍を持つ朝鮮人らしいなぁ、と思ってしまいます。

PS。日本人のブラジル移民がけっこう成功したのは、日本人が、自我を捨てて相手の共同体に合わせられるからです。いわゆる、空気を読めるから、なんだと思います。この特別な「能力」を在日の人には、私は、求めません。求めても、無駄だからです。だから、朝鮮人朝鮮人として生きてほしいのです。


投稿: furukotobumi | 2009年5月28日 (木) 23時17分




>「相手の身になって考え」てしまう日本人の”愚かさ”

Josefさんも、別のとこで、「いかに穏便に済ませるかに汲々としていたでしょう」「事なかれ」とお書きでしょう。結局、こういう発想を外交交渉の場で自然に無意識的にやってしまうのが、日本人の愚かさだと思うのです。
場の空気を読む、というのはKYとかなんとか言われてますが、あのとき、空気を読んだ結果が、国籍喪失という事態であり、いったんそうなってしまえば、あとは、半島の二つの国家と在日の方々の問題であり、他人の日本国がかかわる問題ではないというのが、当時の、それ以降の、日本国の姿勢じゃないかと思うのです。
それを今になって、「国籍選択権」を与えられた「ハズダ」と、言われても、一体何のことを蒸し返してるんでしょう、と思うのは当然です。
『「相手の身になって考え」てしまう日本人の”愚かさ”』と書きましたが、その愛すべき愚かさを有しているからこそ、日本人なんだと、つくづく思っています。

投稿: | 2009年5月29日 (金) 00時00分




furukotobumiさんが「日本人は排外主義的な人種である」と主張されたいのは、先刻承知のことです。 在日の日本国籍剥奪については、「相手の身になって考えた」末などではなく、日本人の都合に沿ったものであったことは明らかで、それはあなたの主張する日本人の排外主義とも一致します。 日本人が自分の気持ちに合う、つまり利害に適うことを行ったことに対して、「相手の身になって考えた」と言いくるめるのは、あなたの日本人としてのご都合主義的な解釈でしかありません。 私は、あなたのような日本人に出会うと、人間としてとても不憫に思います。

投稿: rubio1919 | 2009年5月29日 (金) 19時33分




ご都合主義ですか。
でもね、在日が国籍選択権を主張しはじめたのは、70年代になってからのことで、それまでは一貫して、日本の朝鮮併合は違法であり、自分たちは半島がいずれ統一されれば祖国に戻ると在日は主張されていたのではありませんか?
それが一転して、植民地下とはいえ自分は日本国籍をもって生まれ育ってきた、日本国籍を放棄した覚えはないと主張に変更されたのは、日本の都合じゃなく、(おそらく北の帰還者の悲惨と、南と日本との経済格差を身をもって知った)在日側の都合だったのじゃないでしょうか。
日本は敗戦の際に在日朝鮮人に朝鮮と日本の国籍選択権を与えるべきだったのにそうしなかった、在日は日本国籍を剥奪されたのだ、という主張の前提は、まず、日韓併合が合法正当であったとする日本政府と同じ立場でなければなりません。
これこそ、ご都合主義の最たるもので、自分たちの状況が変わったから、それまでの主張を、その前提含め、変えてしまう。その変更は、一切見えないことにする。日本の(その場の空気を読んだ)都合を、責める資格が在日側に今、あるでしょうか。
日本は日本の都合と半島の都合と在日の都合を配慮した(場の空気を読んだ)だけで、在日のように在日だけの一方的な都合を主張しているのではありません。

20年12月に堀切内相が「内地に在留する朝鮮人に対しては日本の国籍を選択しうることになるのがこれまでの例であり今度もおそらくそうなります」と答弁した記録があるのに、実際そうならなかったのは、さきにも書きましたが、自分たちをアメリカやイギリス・中国と同様の戦勝国民(連合国民)として扱え、敗戦国民(被占領国民)である日本人と同じにするな、と主張して暴力行為に及んでいたのは、在日朝鮮人自身と半島国家だったのじゃなかったのですか? 一緒に戦っていたはずの朝鮮人が掌返しを行って、戦勝国民面する。日本人は愕然としたはずです。おまけにそう主張していた朝連は結成時、在日65万人のうちの40数万人が加入したと記録されてます。もちろん24年9月に「暴力主義団体」指定を受けて解散命令が下り解散させられていますが。
日本国籍を維持したいという意見は、当時、在日側から、あったのですか? そういう資料は残ってますか? 

こうした様々な当時の状況の変遷を含めて考えず、後世からの視点で、国籍選択権云々と言われても、何をいまさら言っとるんじゃろうなぁ、とあきれられるだけです。

でもね、私は、あなたからいかに不憫に思われようと、不当ともいえる自信を持ってるんですよ。この件に関して。


投稿: furukotobumi | 2009年5月29日 (金) 20時56分




furukotobumiさん

「半島がいずれ統一されれば祖国に戻る」とすべての在日が主張したのでしょうか? 少なくとも私の父母・祖父母をはじめ、親戚縁者で、そのようなことを言った人は一人もいません。 また、そのような主張をする在日がいたとしても、日本社会の一個人、あるいは一団体の発言にしかすぎないのです。 在日がどのように言おうが、日本人が己の都合で在日の処遇を決めていったのは明らかなのに、日本人が主権者たる自己責任を度外視して、何の権力もない一部在日の発言を取り上げて責任を擦り付けるのは、卑怯な言い逃れというほかありません。 しかもそれを「相手の身になって考えた」末と言いくるめて、挙句の果てに、それが愛すべき日本人の”愚かさ”だとして悦に入る。 哀れを通り越して、正直気持ち悪くなります。

「日本の国籍選択権を与えるべきだったのにそうしなかった、在日は日本国籍を剥奪された」という意見と、「韓国併合が不法不当だった」との意見とは全く矛盾しません。 なぜなら、在日朝鮮人日本国籍を一旦剥奪して、希望者に日本国籍を付与すればよいだけの話ですから。 日本統治下の住民に対する日本国籍の付与は、すでに述べたように、日本政府の権限で出来ることです。 事実、ドイツは、在独オーストリア人に対してそのような措置を採りました。 終戦後、帰国する在日が多い中、日本での生活が長引いて故郷に生活の基盤を失った在日は、故郷に帰りたくても帰れず、日本での在住を希望する者や、帰国を諦めざるを得ない人は多くいました。 これら在日の存在は、日本の植民地支配の所産なのです。 韓国併合が、合法不法に限らず、その責任が日本政府にあるのは明らかなのです。

在日が「戦勝国気取り」で暴れたという話は、嫌韓の人たちがよく持ち出すネタですね。 しかし、当時すでに日本で生まれた二世もいて、皇民化教育を受けた彼らは、朝鮮解放の喜びなどの実感はありませんでした。 逆に、日本の敗戦は、関東大震災時のように日本人がパニックに陥って襲ってくるのではないかとの不安を在日に想起させました。 実際、在日1.5世の父は、終戦前航空隊に所属していたのですが、日本の敗戦を知ったとき、「自分は生き残ったと思った。 あと一年戦争が長引いたら、特攻で死んでいた」、との感想を私に吐露しています。 戦前から日本人は、散々朝鮮人を蔑視し差別したあげく、戦後、経済的には多くの職場から朝鮮人を締め出しました。 また、日本政府も、在日を差別しても公的に差別を是正する政策など採るはずもありませんでした。 そのような官民一体となった日本人の排外行為・差別行為を棚に上げて、その反発としての一部在日の鬱憤晴らしを、あたかもすべての在日の振る舞いかのように論じて、加害者側の日本人が被害者風の語りで在日を誹謗中傷する。 「戦勝国気取り」と朝鮮人を侮辱して新たな在日差別の材料にしているだけなのに、「一緒に戦っていた」などとよくも恥ずかしげもなく平等面ができるものですね。 

朝連が「暴力主義団体」指定を受けて解散命令を受けたとのことですが、朝連が解散させられる前年の1948年、日本政府は民族教育を弾圧し、朝鮮学校の閉鎖を迫りました。 それに反対する大阪府庁前の朝鮮人の集会で、参加していた在日少年が警察官の発砲で死亡しました。 このような在日の民族教育擁護の運動が「不法行為」として弾圧され、朝連が解散させられたわけです。 あなたは、恣意的に朝鮮人と暴力を結び付けようとしていますが、実際は権力者たる日本人が暴力で在日を弾圧したのです。 これも、「相手の身を考えた」日本人の”愚かさ”の為せる業だったのでしょうか?

日本国籍を維持したいという意見」が当時在日にあったかなかったかは何の関係もありません。 日本の在日に対する戦後処理の対応が正当か不当かを検討する中で、当時の日本政府の対応を批判して現在の在日の待遇改善を要求することに、いったい何の不当性があるのでしょうか? 改めて言いますが、戦後在日の処遇は、在日の意向なのではなく、一方的に日本政府の都合で決められたのです。 そのような日本政府の政策責任が日本政府にあるのは自明のことです。 ご指摘のように、当時国籍選択案が日本政府内にあったのは事実ですから、「何をいまさら」と自己責任を放り投げて負いようのない責任を在日押し付けるのは、「盗っ人猛々しい」というものでしょう。

「あなたからいかに不憫に思われようと、不当ともいえる自信を持ってるんですよ。」と日本人のあなたが仰られるのは、よく分かります。

投稿: rubio1919 | 2009年5月30日 (土) 20時48分




rubio1919さん。

「日本の在日に対する戦後処理の対応が正当か不当かを検討する中で、当時の日本政府の対応を批判して現在の在日の待遇改善を要求することに、いったい何の不当性があるのでしょうか?」
だって、そういうのって、外国人なんだから国籍のある国の問題でしょうって話を私は延々書いてきたのですよ。自分を日本人だと勘違いしてるのはほかならぬrubioさんのような人間だけですよ。外国人なのに、私は日本人と同じになりたい。そんな外国人が「在日」以外どこにいます?
どうやら私はあなたを感情的にさせる何かを持っているようですね。気持ち悪いも、卑怯も、不憫も、実際、状況認識においてrubioさんと私とでは随分異なります。私がさきに日本人と朝鮮人(外国人)との主張の仕方の違いを長々と記述したように、日本人は良くも悪くもその場の空気を読んで判断を下すんです。隣の顔を見てその向こうの顔を見て、自己主張を抑える。それはもうほとんど伝統芸能というか、習慣です。
「主権者たる自己責任を度外視」とおっしゃる。あなたの目にはそう映っても、違うんです。そういう問題じゃないんです。あなたの問題の立て方と状況認識は、あまりに何か日本人的ではないんです。でも、ここは日本なんです。日本人は長年そうやってきたから、半島や大陸国家と違ってここまで発展してきたんです。近代の帝国主義国家を築いたときだってそうです。あなたは、私のような日本人のすとんと腑に落ちる説明をしない限り、おそらく、あなたの考えは、日本では、そのまま通用しないと思います。あなたが直面してる苛立ちが、さきの感情的な言葉となってぶつけられるのです。
rubioさんは日本で暮らして毎日違和感をお持ちかもしれませんが、日本人なら何も気にしないでやってる行動様式です。「卑怯な言い逃れ」でしょうか。そうしたズレが毎日、rubioさんと日本人との間で積み重なっていくんです。日本人が日本人たるところの行動様式として普通のことなんです。こちらとしてはなんも気持ち悪くないもんねっていう感じです。逆に、これできなきゃ、相当ひどい目に会いますし、外国との交渉事だって譲歩した上にまた譲歩を重ねさせられるのです。見ていて歯がゆいほどに。聞く必要のない声だって聞いてしまうから、今の日本があるんです。主体があって頑としてりゃ、今の日本の弱腰状態なんてありえません。で、そこにつけこむ連中もたくさんいるというわけです。
法律の文書や条約として残っていることは結果に過ぎません。それを生み出した様々の要因は多様です。その結果だけを様々に変遷してきた在日のの状況と意識とに結びつけて、「国籍選択権もあったはずだ」とSFのようにおっしゃってるようにしか思えないんです。それはね、20世紀初頭の朝鮮半島が単独で独立していられたはずだ、っていう発想とどこか似てるんです。状況的に無理なんです。ありえないんです。あなたは、日本の排外主義思想こそが原因だとお考えですが、私は、それもありましょうが、場の空気を読んだだけなんです。それがあなたには「言いくるめて」るとお感じになるんでしょう。
私は、戦後、在日が日本国籍を喪失したのは、彼ら(在日および半島国家)の当時の「希望」であり、その後の推移は自業自得だと考えています。それを”自覚”しているからこそ、70年代(宋さんの裁判まで)まで「国籍剥奪」という言葉を朝鮮人は使用しなかったのだと思います。そんなことを言い出せば、戦後の記憶の確かな日本人は「おいおいちょっと待て。お前らあんとき・・・」と思ったでしょうし、宋さんの裁判がそうだったように在日の「多く」が理解を示さなかったでしょう。時代状況と在日の事情はそのようなものだったんじゃないですか?あなたが上でお示しの在日に寄り添った資料にすらhttp://www.h6.dion.ne.jp/~k-moon/index.htmlにも、戦後の在日が外登法反対の運動は行っても、「国籍選択権」を求めたなんて記述はないのです。それを「あったかなかったかは関係もありません」で、一刀両断されても、私の感覚からしたら、なんでそこまでむしがいいの? それこそSFじゃんと思ってしまうだけなんです。宋さんの裁判まで、在日は「国籍選択権」を考えなかった、それを自ら要求したことはなかった。半島国家も在日もその可能性に反対した。それが普通で自然だった。あんなに一方的な要求を声高に主張する民潭や総連も、そんなものを要求した様子がこれっぽっちもない。朝鮮人寄りの論文すら記述しない。
http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/chapter3.html
日本政府にいくら「国籍選択権」の心積もりがあった【(植民地出身者の)国籍は、講和会議によって決定されるものであり、(それまでは)日本国籍を失っていない」24年1月27日人事院法制部審議課長)「(在日する人々の国籍は)、大体において本人の希望次第決定される見通しを持っています」24年12月21日外務委員会における川村外務次官答弁】としても、在日と半島国家は、猛烈に反対しました。24年の時点でのこの答弁が覆される理由は、日本政府だけの問題じゃないと思います。自分たちの「希望」を伝える示威行動を見せました。多くの記録がそれを証明してくれます。彼らは、戦勝国民扱いを望んです。私から見れば、何も反対運動が起こらなかったということは、この決定に対しての十分な根回しとヒヤリングが行われていたってことです。それ以外に考えられません。

投稿: furukotobumi | 2009年6月 4日 (木) 00時16分




バジル2世さん、Josefさん。いつも書き込ませてもらってありがとうございます。
「相手の身になって考えてしまう日本人」というのは何も私が言い出したのじゃなく、これまでの日本人論の多くがこれを記述しています。唯一絶対神を発明しなかったために神が世界秩序の基準になりえず、一貫した原理原則で社会や集団をまとめようという発想の代わりに、周囲の間で大方意見が一致すればとくに反対意見が無い限りそれがどんなことであれその線でやっていきましょといった姿勢です。古代の朝廷ができたときも豪族の談合と横並びで天皇をかついだんです。要するになんでも、とにかくまとまりゃOKってことで、しゃんしゃんという平和な世界観ができあがってしまったんですね。日本の戦国時代なんて西洋の過去の戦争や東アジアの戦争に比べたらままごとみたいなもんです。
でも、皆さん、ご存知のように、こういう平和な世界観を持ってる人たちは内輪でやるぶんにはそれでいいかもしれませんが、外部から異なる絶対的な理念を持った連中がやってくると相手に妥協の余地がないためにこちらが悲惨なことになるわけです。西洋列強しかり、戦後の朝鮮中国しかり。一方的にやられまくるという現実です。
ですから強調しておきますが、日本人以外に、余計な気を働かせる必要はないんです。でも、やっちゃうんですよね。バジル2世さんのように、違和感を持ちながら謝罪する、って姿勢がまさに日本人的というか、”愛すべき愚かしさ”というか、こういう方を見ていて、ああ、日本人だなぁ、とは思えても、こういう人に、外務公務員や政治家にはなってほしくないな、とは思うのです。違和感があるなら謝罪なんてしちゃいけないんです。香港返還時の大英帝国を見てごらんなさい。
そういう余計な気を働かせている限り、問題は1度で解決せず、形を変えていくらでも蒸し返されていくのです。前のエントリで資料提示して『私は、戦後、在日が日本国籍を喪失したのは、彼ら(在日および半島国家)の当時の「希望」であり、その後の推移は自業自得だと考えています。』と書いたら、rubio1919さん、見事なまでに退却されちゃったでしょ。外交交渉なんてのは、言葉と論理と資料を使った武器を使わない(武器を背後に置いた)戦争です。利益と利益がぶつかってるのに、こちらがすすんで譲歩する必要などありません。
『私のような日本人のすとんと腑に落ちる説明をしない限り、おそらく、あなたの考えは、日本では、そのまま通用しないと思います。』とも書きましたが、在日がむしのいい要求をしてきた場合、いくらでも、そのむしのよさを指摘してあげればそれでいいんです。在日たちがいかに戦後目先の利益に惑わされ、半島国家からリモートコントロールされ、日本のサヨクに体よく利用されてきたか、その見たくもない、目をそらしていたい「歴史」http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/chapter3.htmlを思い出させてあげればいいんです。いわゆる、彼らの近視眼的な状況認識とそれに基づく運動がどれくらい自分たちの日本での政治的立場を損なうのに「寄与」してきたか、私はそれを「自業自得」という言葉で表現しましたが、私なんかなんとも不可思議な民族だな、とは常々思っています。
それと、過去を語るとき「捏造された記憶」を語る者もいます。当時はそんなふうにまったく思っていなかったしその可能性もあるはずがないのに、今、自分たちの状況や事情が変化してきたら、当時も、そのことを考えていたんだと、記憶を捏造するのです。そういう連中の昔語りも幾分値引きして聞かないといけません。記憶なんて後からいくらでも、都合のいいように捏造できます。大方の朝鮮人は当時、国籍喪失に「同意」してたんです。その決定に「乗った」んです。すくなくとも、無言のうちに承認したんです。でも、現代に生きるrubioさんのような方は、認めたくないんでしょう。併合時多くの朝鮮人が併合を無言で承認したことも、認めたくないんでしょう。でも、認めちゃったから、rubioさんのご先祖は、この列島にいらしたんですね。
おそらく、在日のご存命のお年寄りの(一世)の多くの人たちは国籍選択権に反対したことを「しまった」とお思いでしょう。しまった、と言えないから、「剥奪された」という受身形に変更されたんですね。あのとき自分たちはなぜ「選択権」に反対してしまったのか。目先の戦勝国感に酔いしれていて、祖国と日本とがここまで差(奇跡的な経済復興や国際的文化的価値評価)がつくとは思わなかったんですね。悔しいでしょう。私のこの記述に悪意を感じられますか?でも、現実は、そんなもんだったでしょう。
まずなによりも、rubioさんを含めた在日の方は、戦後から52年までの朝鮮人の先輩を、現在、「どうして国籍選択権を拒絶したのだ」と、訴えてもいいくらいじゃないのですかね。それは、在日同士でやれるでしょう。当時の大勢だった朝鮮人を、なんと馬鹿なことをしたのだ、と訴えるのです。それをやらない限り、多くの日本人は何が謝罪だ馬鹿馬鹿しいと思うだけです。
それとともに思うのですが、在日がやるべきなのは、在日自身の本格的な「戦後の政治運動」の総括であり、これをやっておかない限り、自分たちが現在陥ってる「窮状」の要因には目を伏せたまま、日本があの時国籍を「剥奪」したせいだ、「植民地」化したせいだというむしのいい姿勢からは、一歩も、出ようとしないでしょう。在日自身が在日自身の足を引っ張ってきた(帰化の妨害含め)、その事実に対して彼らは面と向かわなければならんでしょう。私は、彼らが、謝罪だなdなと口走るたびに、「身の程知れよ」という気がしてならないのです。そして「身の程知れよ」という気がしてる間は、謝罪などもってのほかだと信じています。目をそらしていたい自分たちの過去、不快な現実に頬かむりしたまま、日本の謝罪だけ求めても、無駄無駄。
rubio1919さんタイプが一番触れてほしくないのは、まさに、この「在日の戦後の政治運動」なんです。戦後の在日の政治運動の証拠は、はっきりと記録されており、それを偽造することはできないのからです。ですから、rubioさんタイプは「民潭や総連」”以外”の在日の姿(彼の親族)を持ち出すしかない。しかしながら、それ”以外”の在日だって、民潭や総連の「恩恵」を受けてきたのです。
自分の不遇を呪い、先祖の不遇を呪うのもいいですが、そんな状況に陥ったのはほかならぬ、在日自身の政治意識、国家意識、民族意識にどこか奇形なところがあったんじゃなかったかということにも思いをはせてほしいですね。帰国できなかったのは、生活基盤の問題だとお書きです。こういうのも、私は眉唾だと思っています。だって、戦時中大陸や半島にいた日本人だって、日本に生活基盤なんか無い人だってたくさんいたわけですよ。でも、そういう日本人は、「なんとしてでも」、この小さな列島に帰ってきたのですよ。戦後無一文から始めたんですよ。朝鮮に残りたいなんて日本人はほとんどいなかったでしょう。そこに居残ったらどうなったか、多くの記録が残っています。
逆に、日本にいついた朝鮮人は何十万人もお帰りにならない。なぜでしょう。なぜでしょう。そう「帰りたくない」んですね、実は。戦後の半島と日本の復興と発展の様子を知ってるから、帰る気にならなかったんです。「差別」されていても帰りたくなかった、あそこよりゃましだと思ったのですよ。それが偽らざる心境じゃなかったのですかね。これも、悪意でしょうか。

それと、お二人は、簡易帰化や国籍取得の手続きをお考えのようですが、もし、そういうことになれば、同時に、本格的な防諜機関を立ち上げ、「スパイ防止法」も成立させておかねば片手落ちです。なぜなら朝鮮籍から韓国籍への移動が容易であるからです。それ抜きの議論は危険すぎます。
いつも長くなってすみません。
関東大震災については、現在、SAPIO誌上の連載で詳しく検証されておりますから、一度ご覧になったらいいですよ。
http://naver.uwakina-honeypie.com/index.php?%CE%F2%BB%CB%BB%F1%CE%C1%BD%B8%2F%B4%D8%C5%EC%C2%E7%BF%CC%BA%D2


投稿: furukotobumi | 2009年6月11日 (木) 15時49分




事後報告になって申し訳ありませんが、備忘録的にhttp://d.hatena.ne.jp/furukotobumi/に、ここでのrubio1919さんとのやり取りを転載させていただきました。許可いただけない場合おっしゃってください。
今は削除されたk3altさんのブログで彼にお目にかかって以来なかなか骨のある方だとウォッチしてたんですが、どうやら私は彼の一番痛いとこを突いてしまったらしく、http://d.hatena.ne.jp/rubio1919/20090522において

『rubio1919 2009/07/14 22:01
Qさん

>余計なお世話でしょうが
ザンジバル氏のブログの書き込みに反論しなくていいのですか?

「おとぎ話」には付き合えません。 きりがありませんから。』

とのことだそうで、いささか失望を禁じえません。
他人に謝罪を要求されるのなら、相手の納得できるそれなりの理由づけが必要です。私のような日本人を説得できるだけの論理と証拠(現実)を提示しない限り、彼の要求する「謝罪」は、ただの言いがかりにすぎません。他人に因縁をつけておいて反論できなくなったから「おとぎ話」扱いとは、私の目も曇ったものです。

投稿: furukotobumi | 2009年7月16日 (木) 00時54分


以上http://zanbajiru.cocolog-nifty.com/blogtytle/2009/05/post-3e34.htmlより。