★誰が朝鮮人なのか (朝鮮戸籍と日本国籍との関係ノート)

【2016年1月27日更新】暫定稿


1910年(明治43年)の日韓併合により、大日本帝国は、大韓帝国統治権を獲得した。統治権は大きく、領土主権(国家の基礎である一定地域のすべての人や物に及ぶ国家の支配権)・対人主権(領土の内外を問わず、国民に対する国家の属人的な支配権)・自主組織権(国家がその活動組織を自ら法によって定める権利)に分けることができる。
日韓併合条約に「第一条 韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス。第二条 日本国皇帝陛下ハ前条ニ掲ケタル譲与ヲ受諾シ且全然韓国ヲ日本帝国ニ併合スルコトヲ承諾ス」とある通り、大韓帝国の一切の統治権を割譲された大日本帝国は統治する官庁として朝鮮総督府を設置し、1923年、朝鮮総督府令154号により大韓帝国の作っていた戸籍(自国民リスト)を継承して朝鮮戸籍を作成した。この朝鮮戸籍に登載されている(本籍のある)者が、半島・内地在住を問わず「朝鮮に帰属すべき者」、つまり朝鮮人であった。

朝鮮総督府は内地政府とは別個の統治機関であり、国内法的にも天皇の下部組織ではあっても内地政府の下部組織ではなかった。もちろん大日本帝国憲法は適用されず、朝鮮総督天皇にのみ責任を負い、内地政府・議会からも拘束されずに立法・行政権を行使した。併合条約には韓国とあるが、1910(明治43)年勅令第318号は、併合後の韓国の「国号」を『朝鮮』とするというものだったし(http://www.geocities.jp/nakanolib/rei/rm43-318.htm)、朝鮮〜内地間貿易の関税制度は併合後も存続されており、大日本帝国も朝鮮も同じ天皇に統治されてはいたが、実質的には異なる国として扱われていた。つまり、朝鮮は大日本帝国支配下の領土とは言っても、同じ国とは考えられていなかったということである。

実質的に異なる国のその朝鮮人を併合後日本人と考えたのは、1899年(明治32年)の旧国籍法を適用したからではなく(朝鮮に旧国籍法は施行されていない)、朝鮮統治に基づく朝鮮戸籍令の規定によるものだった。つまり、「その朝鮮人が朝鮮に帰属する事を確認(戸籍確認)→帰属する朝鮮は日本が併合している→朝鮮人は日本人と言える」という論理のゆえであり、その条理と慣習によって大日本帝国の国籍を有すると考えていたのである。
(ちなみに台湾の場合99年に旧国籍法が施行されているが内地の戸籍法は適用されておらず台湾戸籍として別個に登録されていた。台湾は下関条約によって清から「割譲」されたものであり、朝鮮は日朝双方の合意に基づく「合邦」であるので扱いが違ったかしれない。が、なぜ朝鮮に旧国籍法が施行されなかったのかはよくはわからない)

そのように、戦前の朝鮮人(朝鮮に属すべき者・朝鮮戸籍を持つ者)は日本人(日本に属すべき者・日本戸籍を持つ者)とともに大日本帝国臣民を構成する一つの集団であったが、それは『韓国併合という事実』を根拠としており、国籍法の明文規定無しに大日本帝国臣民の中に含まれる扱いをうけただけであり、併合後もそれぞれの統治機構や相続・血縁関係など、内地人(日本人)と異なる法体系で支配された別個の集団を維持していた。

朝鮮戸籍令や戸籍法、共通法第3条の規定では、朝鮮戸籍を有する朝鮮人は、結婚・養子以外では本籍を内地に動かせなかった。つまり、朝鮮戸籍と日本(内地)戸籍は、「朝鮮に属すべき者」と「日本に属すべき者」とを峻別しており、たとえば日本戸籍の女性が、朝鮮人戸籍の男性と結婚した場合、朝鮮戸籍に入ることになったが、いったん朝鮮戸籍に入った者は「朝鮮に属すべき者」であり、その子供も朝鮮人であり、内地人(日本人)ではなくなった。日本朝鮮台湾各地域での身分移動は、この帰属の変更を意味する旨が共通法によって定められていた。

1939年には協和会が全国すべての都道府県に結成され、その所持を義務付けられた協和会手帳によって内地在住の朝鮮人は把握された。(写真、本籍地、日本国内の住所、職業などが記載され、本人確認の手段になっていた)http://www.j-koreans.org/exhibit/mono_02.html

国際的にも内地人の持つ日本国籍朝鮮人の持つ日本国籍は明確に区別されており、内地人の持つ日本国籍は外国国籍取得による国籍離脱が認められていたが、朝鮮人の持つ日本国籍は外国国籍取得による国籍離脱の規定が存在しなかった。(例:間島や中国東北部での朝鮮人の中国への帰化問題)日本国籍の離脱が出来ない朝鮮人は、外国政府が帰化させたくても不可能だった。

戦前朝鮮人も日本人も帝国臣民だったし日本国籍を有していたとは共有認識としてあるわけだが、実質としては、日本人(内地人)と朝鮮人はそのように扱いが違っていたわけである。もちろん、朝鮮人が日本に渡航したり寄留するときにも、「入国管理」の対象として許可制度が導入された。警務総監部令第3 号「朝鮮人ノ旅行取締ニ関スル件」(1919.4)は朝鮮人の日本渡航に対する初めての直接的規制(渡航証明書制度)で、国外に出る者には就労先を管轄する所管警察署・駐在所が証明書を下付され(旅行届出許可制)、それを最終出発地の警察官に提示(釜山水上署)してから日本に渡った。(1919〜22、1925〜38が渡航制限期間)

1934年には「朝鮮移住ノ件」として今まで以上に朝鮮人の密航を厳重に取り締まること、朝鮮人流入を防ぐ為に満州開発を行うことを岡田内閣が閣議決定した。その後1939年には内地で国民徴用令が成立し(朝鮮に適用されたのは 1944年9月から)朝鮮でも日本企業が自由に労働者を募集することを許可され(募集)、42年には総督府朝鮮人労働者を募集した(官斡旋)。

選挙権についてであるが、戦前の内地に住む朝鮮人には日本人と同じように参政権があった。1920年衆議院選挙では所定の納税者(租税3円以上)の朝鮮人が選挙権を行使し、1925年の普通選挙法成立後には納税とは関係なく選挙権・被選挙権が与えられることになった。また1930年1月31日の内務省法令審議会はハングルの投票を有効とし、ハングル投票が予想される選挙区の投票管理者には諺文字(ハングル)書が配布された。32年と37年の衆議院議員選挙で東京4区から当選した朴春琴など、地方議会でも立候補した朝鮮人は当選していた。

一方朝鮮や台湾という外地に居住する者は、日本人であっても参政権はなく、日本人も朝鮮・台湾人も内地に住む者だけに参政権があった。選挙権においては内地の臣民には差別はなかったが、外地に在住する者と内地に在住する者とでは同じ臣民でも違いがあったということである。

大日本帝国の国籍はそのように日本人と朝鮮人とで異なっており、朝鮮人の国籍の根拠が1952年の平和条約で否定されるのである。

ちなみに1933年5月の朝鮮の道議会選挙の結果を報じた新聞によれば朝鮮半島13道のうち80パーセントの当選者が朝鮮人であり、公権力の幹部や高等刑事も朝鮮人であったようである。http://www.hoshusokuhou.com/archives/24510574.html


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1943年11月、米国大統領ルーズベルト、英国首相チャーチル中華民国主席蒋介石によってカイロ会談が行われ、12月1日に「カイロ宣言」が発表された。この声明は後日、連合国の対日基本方針となるものであり、朝鮮に関しては、以下の通り記述されている。
The aforesaid three great powers, mindful of the enslavement of the people of Korea, are determined that in due course Korea shall become free and independent.(前記の三大国は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する。)

1945年7月〜8月、ナチス・ドイツ降伏後、米国、英国、ソ連の3カ国の首脳が集まり、第二次世界大戦の戦後処理と日本の終戦について話し合われた。この会談でポツダム宣言ポツダム協定が決められ、7月26日、英米中の首脳によって大日本帝国に対して勧告された。

第8條に、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ、とあり、第1條には、日本国に対し戦争を終結する機会を与えるとし、末尾第13條において、これ以外の選択は、迅速且つ完全なる壊滅あるのみと宣言している。

日本は、この「ポツダム宣言」を受諾し、降伏時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施の為其の必要と認むる処置を執る連合軍最高司令官に従属することとなった。上記8条の通り朝鮮半島は日本の主権が及ぶ範囲の中に含まれておらず主権国家も存在しなかったためGHQによって直接統治されたが、日本在住の朝鮮人朝鮮半島朝鮮人も全員が「日本国籍」を維持していた。

1945年11月3日米政府によって発令された「日本占領及び管理のための連合国最高司令官に対する降伏後における初期の基本指令」によると、朝鮮半島主権国家が樹立されるまでの間、朝鮮人を「植民地政策」からの「解放民族」として扱い、日本国籍を有してはいるが日本の司法権の及ばないとし、軍属にある朝鮮人は敗戦まで皇国臣民だったことを理由に敵国民(日本人)として扱うことも可能な「第三国人」として捉えるべきだとの方針が決定された。http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/01/036shoshi.html

GHQ朝鮮半島に帰還した朝鮮人の日本への再渡航を禁止したが、解放されたはずの朝鮮からの”密航者”はなぜか続出した。「日本国籍」を有しているため「密入国」ではない上、「第三国人」として司法権も及ぶことがなかったので取り締まることもできなかった。1950年GHQの命令によって大村収容所が設置されるまではこの”密航者”を捕らえても強制送還出来なかった。

密航だけでなく終戦直後から朝鮮人の犯罪件数は急増した。「第三国人」という立場を悪用し「日本国内法の枠外」に「治外法権」を確保しようとする「尊法精神の無い不穏な少数民族」として朝鮮人を考え「占領軍政策の成功にとって重大な障害」になりかねないと結論付けたGHQは初期の方針を撤回し、1946年2月連合国対日理事会で緊急措置として軍属に関係なく全ての朝鮮人に日本の司法権の及ぶことを決定した。

にもかかわらず一向に減らない在日朝鮮人の犯罪件数に業を煮やしたGHQは1947年5月2日当面は朝鮮人を「外国人」として扱うようにとの「外国人登録令(ポツダム勅令207号)」の施行を命じた。「外国人登録令」は、朝鮮人を当分の間「外国人」とみなし入国の制限と登録を義務づけた。日本に在住する朝鮮戸籍登載者は、日本国籍を有したまま登録証の国籍等の欄には出身地である「朝鮮」という記載がなされた。これが現在の「朝鮮籍」の始まりである。

1947年GHQは日本政府に対し在日朝鮮人を当面は「外国人」とみなすが「日本国籍」を有し日本に居住する以上は民族教育を禁止し「日本の教育基本法・学校教育法」に従わせるよう司令を出し、48年文部省は朝鮮学校閉鎖令を各都道府県知事に通達を出した。民族教育を行う学校の約90%が「占領目的を侵害する行為」によって解散させられた在日朝鮮人連盟が運営母体だったためである。

1948年大韓民国が建国されると38度線以南の朝鮮人は事実上「日本国籍」を失うが、日本在住の朝鮮人は「日本国籍」のままであるため韓国政府は外国人登録上「韓国」又は「大韓民国」の国籍表示を用いるようGHQに要請した。このため1950年以降本人の希望があった場合のみ「朝鮮籍」から「韓国籍」に書き換えることができる措置が取られるようになった。

1952年のSF平和条約によって日本国は朝鮮の独立を法律上承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄することになったので、日本は朝鮮における統治権(領土主権、対人主権、自主組織権)を放棄した。朝鮮統治自体が不当とされたので、朝鮮の土地と朝鮮の人間を自由且つ独立のものにするために、日本がこれらの権原を放棄したのである。この場合、対人主権の放棄によるものは「朝鮮に属すべき者」であり、これは上の朝鮮戸籍に登載されていた者を指していた。

そのとき日本に居住していた「朝鮮に属すべき者」に対しての対人主権も半島居住の「朝鮮に属すべき者」同様放棄されたのであり、これを『日本国籍の喪失』という。半島内地以外の台湾や東南アジアなどの旧大日本帝国領土に居住していた「朝鮮に属すべき者」も、それ以外の土地に居住していた「朝鮮に属すべき者」に対しても同じく対人主権は放棄された。朝鮮統治を正当化できないのに、その統治を根拠に日本が日本居住どころか世界中の「朝鮮に属すべき人」の日本国籍を主張できるわけがない。

また、日本国籍喪失時に日本国内在住の朝鮮人国籍選択権を与えるということは、半島居住の「朝鮮に属すべき者」と内地居住の「朝鮮に属すべき者」とを、居住地の違いによって差別(特別扱い)することになるし、植民地支配続行の意思を表明することになる。

同時に外国人登録令は破棄され外国人登録法が施行された。

たとえば、鄭大均氏(1948年岩手県生まれ)の母親のように、戦前朝鮮人との結婚により日本戸籍から朝鮮戸籍に移動した日本人女性は、サンフランシスコ平和条約後、日本国籍を喪失したことによって朝鮮籍として「外国人」となったのだし、その子の鄭氏も「外国人」となった。日本人の両親のもとに日本に生まれてずっと日本で暮らしてきた日本国籍者の女性が朝鮮人と結婚して朝鮮戸籍に移動していたため、サンフランシスコ条約以後は、その女性や子供は日本人ではなく「外国人(朝鮮人)」となったのである。

鄭氏は後に帰化されたが、氏の妹の鄭香均は外国籍の職員が東京都の管理職選考試験の受験を拒否されたとして都を訴え、二審で一部勝訴(慰謝料支払のみ認定)するも、最高裁において敗訴が確定した(東京都管理職国籍条項訴訟)。

兄妹といってもいろいろである。



(注)本籍と住所とが明確に区別されたのは、1951年にの住民登録法が施行されてからであり、それまでは、住民の居住の実態を把握する住民登録としての実質を持っていた戸籍制度の本籍があくまでも本来の居住地として扱われた。本籍を離れて長期に居住していたとしても、法令上、本来の住所は本籍のものとみなされていた。

・サンフランシスコ平和条約と朝鮮人の日本国籍喪失 1988/1990年判決 その他

(2014年10月28日更新 最高裁資料追加)


http://www.eonet.ne.jp/~ntanaka/1988-18.htm

山口地方裁判所 1988(昭和63)年7月7日

日本国籍保有確認、損害賠償、謝罪請求事件、昭61(行ウ)6)

(補遺として、国際法外交雑誌93巻1号97頁以下に収録)


 平和条約と朝鮮人の国籍――平和条約二条(a)項、日本国憲法一〇条・二二条二項・三一条、国家賠償法一条



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http://www.eonet.ne.jp/~ntanaka/1990-2.htm

 広島高等裁判所 1990(平成2)年11月29日

日本国籍保有確認、損害賠償、謝罪請求控訴事件、昭63(行コ)10)



 平和条約と朝鮮人の国籍――平和条約二条(a)項、日本国憲法一〇条・二二条二項・三一条、国家賠償法一条




注:リンク先を変更しました。(2011年9月25日)



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http://xn--eckucmux0ukc1497a84e.com/saikou/1961/04/05/28475

国籍存在確認請求事件

裁判年月日 : 1961年4月5日 | 裁判所 : 最高裁判所 |

判示事項 朝鮮人男子と婚姻した内地人女子の平和条約発効後の国籍。

裁判要旨 朝鮮人男子と婚姻した内地人女子で日本の国内法上朝鮮人としての法的地位をもつていた者は、平和条約発効とと もに日本国籍を失う。


http://xn--eckucmux0ukc1497a84e.com/saikou/1961/04/05/28475

国籍存在確認請求事件

裁判年月日 : 1965年6月4日 | 裁判所 : 最高裁判所 |

判示事項 朝鮮人男子と婚姻した内地人女子は平和条約の発効とともに当然朝鮮の国籍を取得するか。

裁判要旨 朝鮮人男子と婚姻した内地人女子は、平和条約の発効によつて日本の国籍を離脱するにとどまらず、当然、朝鮮の国籍を取得するものと解すべきである。

・日本国籍は剥奪されたのか

(2016年5月27日一部削除・日韓会談文書資料・新聞記事追加)

http://www.tamanegiya.com/tousenjinnnouso18.1.1-.html
http://www.tamanegiya.com/ura.html

この方のHPの記述は、在日三世で帰化済みの浅川晃広名古屋大学専任講師が「正論」2005年8月号に掲載された論文を基にされています。『』内が引用部分です。
中でも注目すべきなのは、
『「講和発効時に日本国籍喪失在留朝鮮人」と題する、昭和二十六(一九五一)年十二月二十三日の「朝日新聞」記事』
で、そこには
『「在日朝鮮人の国籍問題に関する日韓会談は、国籍、永住権、日本における待遇、引揚げの際携行する荷物と本国送金などの点に就いて原則的に意見の一致」を見、「終戦前から日本に引続き在留する朝鮮人は対日講和条約発効と同時に日本国籍を失う」ことなどで韓国政府と日本政府は合意している。』
とあり、1952年4月の「通達」の5ヶ月前に、「国籍喪失」が日韓政府双方によって合意されていることがわかる。

また、この方のHPは、10月20日からの日韓会談直前の
『昭和二十六年十月十一日の「在日朝鮮人に韓国々籍」という朝日新聞の記事の存在がある。これは「韓国政府は十日の閣議在日朝鮮人に韓国の国籍を与え、その人権および財産に保護を与える事に決定した」と報じただけの記事』
の存在も私たちに教えてくれる。
『もし韓国政府が日本政府と交渉して、在日朝鮮人国籍選択権を付与する意志があるのなら、こうした決定はそもそもありえない。それゆえに、日本国籍喪失については、韓国政府も強い意志を有していたことは明白である。』
1951年の日韓会談直前の韓国側のこの『意思』を考慮した決定が、会談で行われたと考えるのが自然だ。この時点で日本側にこの韓国側の意思に逆らってまでかねてからの日本側の意思であった国籍選択権を在日朝鮮人に与えられただろうか。無理だろうな、と思う。




【資料1】
「正論」05/8月号 名古屋大専任講師 浅川晃広

 戦後六十年を経過しても、「在日は日本政府に一方的に日本国籍を剥奪された」という神話はいまだに生き続けている。

 それは「在日は強制連行の犠牲者」という主張と同様、一部の「在日」とその同調者による、かねてからの特権要求の論拠でもある。近年、「強制連行論」が如何に嘘であったか明らかになってきたが、もうひとつの「国籍剥奪論」も、完全なフィクションであったことは指摘されなければならない。(282頁)

 本稿ではこのフィクションとしての「在日・国籍剥奪論」の問題性と欺瞞性について、その最も代表的論客である大沼保昭東京大学教授の大部の著書『在日韓国・朝鮮人の国籍と人権』(東信堂、平成十六年、以下「国籍と人権」)を中心的題材として取り上げる形で、明らかにしてみたい。(282〜283頁)

 大沼は(国籍変更が)…韓国との合意すらなく、日本政府の一方的措置であったことを強調している。

 しかし、この指摘は、「講和発効時に日本国籍喪失 在留朝鮮人」と題する、昭和二十六(一九五一)年十二月二十三日の『朝日新聞』記事の存在により早くも否定されてしまう。同記事によれば、「在日朝鮮人の国籍問題に関する日韓会談は、国籍、永住権、日本における待遇、引揚げの際携行する荷物と本国送金などの点に就いて原則的に意見の一致」を見、「終戦前から日本に引続き在留する朝鮮人は対日講和条約発効と同時に日本国籍を失う」ことなどで韓国政府と日本政府は合意している。国籍喪失の「通達」は昭和二十七年四月に出されているが、この「通達」は、すでに数ヶ月前の韓国政府との合意を反映させたものにすぎなかったのである。

 これだけでは、「日本政府が強要した」などという批判の可能性も否定できないのだが、これも昭和二十六年十月十一日の「在日朝鮮人に韓国々籍」という朝日新聞の記事の存在がある。これは「韓国政府は十日の閣議在日朝鮮人に韓国国籍の国籍を与え、その人権および財産に保護を与えることに決定した」と報じるだけの記事だが、まさしく韓国政府こそが一方的に韓国国籍を「押し付け」ているのである。

 これは十月二十日からの日本政府との会談が開始される直前で、もし韓国政府が日本政府と交渉して、在日朝鮮人国籍選択権を付与する意志があるのなら、こうした決定はそもそもありえない。それゆえに、日本国籍喪失については、韓国政府も強い意志を有していたことは明白である。日本政府が独自の意志で国籍を喪失させた、という主張そのものが史実に反しているのだ。…

 にもかかわらず大沼は、「在日朝鮮人の意志にかかわりなく――在日朝鮮人日本国籍を喪失」(国籍と人権)としており、他の論者も同様の主張を展開している。

 この「在日朝鮮人の意志」も検討を要する。確かに、個々の在日朝鮮人の意志確認はされていないが、少なくとも総体として、仮に国籍喪失処理への反対運動、反対声明などがあれば、「意志に反して」と言えよう。もしそうした反対が特になければ、基本的には同意された、ということになる。(284頁)
 とするなら、果たして当時の在日朝鮮人が反対の意志表明をしたことが実証されなければ、少なくとも消極的には合意したことになる。…

 筆者は、当時の在日朝鮮人には、基本的には反対がなかった、いやむしろ、占領体制下で、敗戦国民である日本人よりも上の「第三国人」というステータスを前提に、無法活動を繰りひろげてきた経験(拙稿「『在日』マイノリティの真の『哀れさ』」本誌平成十七年六月号参照)から、日本国籍付与にこそ反対であったのではないかと推測する。(285頁)

 このことを裏付けるように、朝鮮大学を卒業後ノンフィクション作家となった金賛汀によれば、国籍喪失措置について、当時の左翼系在日朝鮮人団体である「在日朝鮮統一民主戦線」(民戦)が、通達の後の昭和二十七年五月に開催した第六回拡大中央委員会において、「日本国籍を喪失させる処置に対する具体的な反対運動は提案されていない」(金賛汀在日コリアン百年史』三五館、一九九七年)と指摘している。…

 しかしながら、…自らの「意志」で日本国籍を取得(帰化)した者は、国籍喪失措置の昭和二十七年以降、…平成十五年までの累計を見ると、なんと約二十七万人もの在日朝鮮人帰化によって日本国第を取得しているのである。このため、日本国籍を持たない在日朝鮮人は、平成十五年末で約四十七万人にまで減少した。

 確かに昭和二十七年段階における在日朝鮮人日本国籍取得の総体的な意志は確認できないが、その後は社会状況の変化や個々人の意志によって、希望者は帰化によって日本国籍を取得してきたのである。(286頁)

 次に、「国籍剥奪」に伴う「権利剥奪」の嘘について論じよう。…これに関して大沼は、「日本国民に認められる諸々の権利を否認され、事実上は日本国内住民を対象としながら、法文上は日本国民を対象とする多様な日常の法律関係から排除されることになる」(国籍と人権)と…指摘している。…

 しかし、一連の社会保障制度の中でも最も重要なのは…「生活保護」であるが、これについては、戦後一貫して、昭和二十七年の国籍喪失からも継続して、在日朝鮮人に適用されてきているのである。(287頁)

 生活保護が「国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護」を与える(生活保護法第一条)ものであるにも拘わらず、なぜ「外国人」である在日朝鮮人にも適用されるようになったのか。(287〜288頁)

 (昭和二十六年)十二月十八日に閣議了解を経た「在日韓国人の国籍及び処遇に関する日本側提案」…は「極秘」扱いで、…「発表セズ」との扱いがなされている。その内容は、「…参政権、公務員となる資格…等は、日本国籍を喪失するとともに当然これを失う」とされている。しかしその一方で「現に享有しているその他の権利又は資格で、一般外国人に禁止又は制限されているものについては、日本に居住する限り引続きこれを認める」と、特別扱いの提案を日本側が行っているのである。

  ここからも、国籍喪失によって、日本政府があらゆる権利を否定した、などというのは完全な嘘であることが明らかとなる。(288頁)

 しかも「該当者約六万名」と…破格に多い。…実に「朝鮮人」については、日本人の五倍の受給率である。

 つまり、生活保護については、日本側提案の段階で国籍喪失後も継続適用することが決定されていたのである。

 こうした提案が公表されなかったのも、戦後間もない段階で、外国人となる在日朝鮮人に対し多くの予算を投じ、日本人の五倍の受給率となる生活保護を継続させることが明らかになれば、世論の強い反発が予想されたからであろう。逆に言えば、日本政府は自国民に対する情報開示を差し置いてまで、在日朝鮮人生活保護を認めたということになる。(289頁)

 昭和三十一年九月段階で、実に十万二千二百五十三人の在日朝鮮人生活保護の適用を受けており、日本人は一千人当たり一八・九人という割合に対し、在日朝鮮人は一千人当たり一七四人という、実に日本人の九倍以上の割合で適用されているのである。…

 なお、…現在でも…「行政措置」による外国人への生活保護の適用は継続している。平成十五年度の平均で被保護者総数約百三十四万四千人中、その約三パーセントに該当する約四万一千人の外国人が生活保護の対象となっている。(291頁)
 

「在日」論の嘘: 贖罪の呪縛を解く 著者: 浅川晃広
http://books.google.co.jp/books?id=gYmiyRUQ740C&pg=PT91&lpg=PT91&dq=%E3%80%8C%E8%AC%9B%E5%92%8C%E7%99%BA%E5%8A%B9%E6%99%82%E3%81%AB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E7%B1%8D%E5%96%AA%E5%A4%B1%E5%9C%A8%E7%95%99%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%80%8D&source=bl&ots=JxiEd7SRTQ&sig=paDVEPnolI9LtALlctQ5rR_BkTw&hl=ja&ei=gkOXSrDZKsyJkQXQr_i4DA&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=6#v=onepage&q=%E3%80%8C%E8%AC%9B%E5%92%8C%E7%99%BA%E5%8A%B9%E6%99%82%E3%81%AB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E7%B1%8D%E5%96%AA%E5%A4%B1%E5%9C%A8%E7%95%99%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%80%8D&f=false




【資料2】

韓国公開の日韓会談文書
http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/honyaku/honyaku.html

●韓国側文書に見る日韓国交正常化交渉(その3)・・・・・・翻訳・解説 李 洋秀  PDF 1,060KB
    第三回 在日韓国人の国籍                 (季刊「戦争責任研究」第55号 71-81P)
http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/honyaku/bunnsyo/3.pdf

韓日会談予備会談(1951.10.20−12.4) 在日韓人の法的地位問題事前交渉、1951―9
http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/honyaku/honyaku-2/78.pdf

第1次韓日会談(1952.2.15−4.21)在日韓人の法的地位委員会
会議録、第1−36次、1951.10.30―1952.4.1
http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/honyaku/honyaku-2/81.pdf

第3次韓日会談(1953.10.6-21)
国籍及び処遇分科会委員会会議録、第1次
http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/honyaku/honyaku-2/94.pdf

第4次韓日会談在日韓人の法的地位委員会会議録 1〜22次委員会    1958.5.19ー1989.11.2
全文英文ですが、日本側が第4次で公開したものは日本語なので、是非参照ください。
http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/honyaku/honyaku-2/107.pdf

http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/nihonkokai/4ji/4jikettei.htm#901


朝日新聞51年10月11日
朝日新聞51年10月21日
読売新聞51年10月21日


・在日朝鮮人の日本国籍喪失をめぐるrubio1919さんとのやりとり

はじめまして。
「昭和27年に日本が主権を回復した際、日本政府はサンフランシスコ講和条約によって彼らを日本国籍から離脱したとみなした。これに対して「国籍選択権を与えなかった」という批判が近年出ている。しかし、激化する冷戦の下、当時は韓国と北朝鮮の双方とも、「在日コリアンは全員自国民であり、日本国籍選択権付与は独立を認めないことだ」と強く主張していたことなどが背景にあった点にも留意すべきであろう。」
http://jinf.jp/suggestion/archives/103
これによると、選択権付与は半島の独立を承認しないことにつながる主張していたらしいのですが。

投稿: furukotobumi | 2009年5月26日 (火) 17時04分




http://feblog.rmnv.mods.jp/?eid=70261

[誰が国籍を奪ったか]

ここにも、同様の議論がなされております。

投稿: furukotobumi | 2009年5月26日 (火) 17時41分





furukotobumiさん
>これによると、選択権付与は半島の独立を承認しないことにつながる主張していたらしいのですが

日本政府が在日朝鮮人日本国籍選択権を与えることが、大韓民国朝鮮民主主義人民共和国の独立とその承認に、どのような影響があるのか、教えて欲しい。 

日本統治下の住民に日本国籍を付与する権限は100%日本国にあるのは自明だが、日本政府が他国の主張によって自らの主権が制限されると考えるなら、むしろ、それこそ、日本政府自ら自国の独立を承認しないことになりますね。

投稿: rubio1919 | 2009年5月26日 (火) 20時04分




rubio1919さん。

僕はそういう応えを、待っていたのですよ。
あなたのそういう回答を待っていたのですよ。
日本人なら、このとき「相手の身になって」考えたんだってわかるんですよ。でも、こういう発想って、朝鮮人の方にはわからないでしょ。
日本の外交交渉が、このとき、もし、「相手の身になって」という発想方法をとったのだとしたら、国籍選択権なんて、考えもしなかったと思いますよ。半島がそうおっしゃるんだったら、という発想です。
でも、これはね、日本人以外、わからないと思うんです。

投稿: furukotobumi | 2009年5月26日 (火) 20時14分




furukotobumiさん

>でも、これはね、日本人以外、わからないと思うんです。

同意です。 日本人以外考えられないことです。 日本人ならではのことですね。

投稿: rubio1919 | 2009年5月26日 (火) 20時33分





rubi1919さんのはてなブログへはここから直接たどれないので、そこへのコメントをここにも重複して投稿させていただきます。お許しください。

furukotobumi 2009/05/28 21:04
ubio1919さん。

僕はね、以前k3altさんのとこで、日本人は特別だ、と書いたことがあります。それは、日本人はどこか「変だ」という意味と同義です。よくも悪くも「変」なんです。
それはね、前回のコメントで、「相手の身になって考えた」末の、日本在住の朝鮮戸籍登録者の日本国籍喪失だと申したでしょう。この場合、お互いの利益のぶつかる外交交渉の場でのしかるべき対決を避けて、「相手の身になって考え」てしまう日本人の”愚かさ”を、rubio1919さんも「変」だとお思いでしょう。
自分の主体的判断を捨てて(主権意識を捨てて)、それを横にのけておいて仲良く相手の言うことを飲めば対決も葛藤も存在しない、といういかにも日本人的な判断だったんだと思います。戦争に負けた、半島も返した、朝鮮人も当時戦勝国民面して暴れてた、この時代の「空気」の中で、半島の二つの国家に国籍選択権を拒絶されたとしたら、日本人の外交担当者は、「お返しする」気で、在日の日本国籍喪失ということになったんだと思います。現代の、法律論や主権論なんか、考えてなかったと思いますよ。ただただ、敗戦国ゆえのいたし方ありませんな、という感じだけだったんだと思います。
朝鮮人なら互いの自己主張を最大限に行って、その主張の間に共通一致点を見出すのが協力友好の基礎でしょう。でも、日本人と朝鮮人とでは、友好ということの意味合いがまるで違うのです。相手と別個に独立して利害の対立する自我を持つなんてことができないで、敵対しないためには自我をすすんで引っ込めようとするのです。でも、日本人が自我を捨てて(無私)仲良くしようとしたって、朝鮮人が自我を捨ててはくれるわきゃないのです。日本人同士ならそれでいいんですが、朝鮮人相手に、外交交渉の場で、それを「自然に(無意識的に)」やってしまうところが、日本人の日本人たるところなんです。
言い合いや論争してる間は決して交渉(関係)は断絶しないと思ってる朝鮮人にとっては、それがもっとも不可思議なところでしょう。rubio1919さんの質問は、朝鮮人として当然だったんです。日本が抱えてる外交問題の摩擦の多くは、ほとんどがこれが原因です。交渉の場で言いあいをすると、それがまるでなにか捨て台詞のように感じられるのです。福田元首相が「隣人の気にお障ることを言わないことが仲良くすると言うことだ」とかなんとか言ってたことがあるのですが、あれがまさに典型で、言わねばならん時に自我を抑えてしまう、だから、問題は一向に解決しないどころか、ますますこじれてくる。ある種の人間はここで時の流れに身をまかせ自然に問題がうやむやになり消えていくのを待つのですが、問題は、一向に、消えたりしないのです。
日本人にとって、ずっとその場の和だけが行動原理でした。みんなの意見が一致すればそれに従う。全員一致というか、反対派が納得しないと、場がまとまらないんですよ。おそらく、島国で平和で長年ずっとそうやって生きてきてしみついてしまった行動原理(発想方法)です。もともと、この列島に古代住み着いた人間は、大陸を押し出されたヘタレな人間たちだったんでしょう。
でも、朝鮮人(外国人)は違うでしょう。150パーセントお互い主張して(ふっかけて)段々折れていくのが普通でしょう。でも、日本人は最初控えめに70パーセントくらいから徐々にお互い歩み寄るんです。だから、目の前で徹底した自己主張にぶつかると、多くの日本人は、たまらなく不愉快になります。そして挙句の果てに「こちらがこんだけ譲ってるのに、お前らなんだ」と突然爆発しがちなのが、日本人です。半島や大陸で反日を叫んでる映像がしばしば流されますが、あれなんか、僕から見てるとたまらなく不愉快ですが、彼らにとっては、関係は断絶していないとでも考えてるんでしょう。

ですから、そうやって朝鮮戸籍を持つ人々を「お返しした」んだから、いったん日本国籍を喪失した朝鮮人は、この日本国にとっては、他人に過ぎません。これは極めて、日本人的な普通の感覚です。彼らは、朝鮮籍のままでいるか韓国籍を選べばいいだけの、他人(外国人)です。それ以降、在日に対しての責任は、戸籍と国籍のある、朝鮮半島の国家にあります。これが、私を含む日本人の大方の在日朝鮮人韓国人についての料簡です。
外国人は、日本では、日本国民としては、扱われません。

日本人は「寛容」だとも書きましたが、それは身内に対してはと寛容ですし、身内にならないで他人でいてくれる限りにおいては寛容だという意味です。
しかし、身内に入れるか入れないかというときだけはすごく厳しいです。アメリカならどんどん受け入れて、それから、徹底的に差別するでしょうが、日本人は、受け入れるときには厳しいですが、それからはほとんど差別しません。帰化されて実感されたでしょう。
でも、日本国家に対して、在日に対して、土下座しろ、謝れと主張されてる限りにおいては、日本国籍を持つ朝鮮人らしいなぁ、と思ってしまいます。

PS。日本人のブラジル移民がけっこう成功したのは、日本人が、自我を捨てて相手の共同体に合わせられるからです。いわゆる、空気を読めるから、なんだと思います。この特別な「能力」を在日の人には、私は、求めません。求めても、無駄だからです。だから、朝鮮人朝鮮人として生きてほしいのです。


投稿: furukotobumi | 2009年5月28日 (木) 23時17分




>「相手の身になって考え」てしまう日本人の”愚かさ”

Josefさんも、別のとこで、「いかに穏便に済ませるかに汲々としていたでしょう」「事なかれ」とお書きでしょう。結局、こういう発想を外交交渉の場で自然に無意識的にやってしまうのが、日本人の愚かさだと思うのです。
場の空気を読む、というのはKYとかなんとか言われてますが、あのとき、空気を読んだ結果が、国籍喪失という事態であり、いったんそうなってしまえば、あとは、半島の二つの国家と在日の方々の問題であり、他人の日本国がかかわる問題ではないというのが、当時の、それ以降の、日本国の姿勢じゃないかと思うのです。
それを今になって、「国籍選択権」を与えられた「ハズダ」と、言われても、一体何のことを蒸し返してるんでしょう、と思うのは当然です。
『「相手の身になって考え」てしまう日本人の”愚かさ”』と書きましたが、その愛すべき愚かさを有しているからこそ、日本人なんだと、つくづく思っています。

投稿: | 2009年5月29日 (金) 00時00分




furukotobumiさんが「日本人は排外主義的な人種である」と主張されたいのは、先刻承知のことです。 在日の日本国籍剥奪については、「相手の身になって考えた」末などではなく、日本人の都合に沿ったものであったことは明らかで、それはあなたの主張する日本人の排外主義とも一致します。 日本人が自分の気持ちに合う、つまり利害に適うことを行ったことに対して、「相手の身になって考えた」と言いくるめるのは、あなたの日本人としてのご都合主義的な解釈でしかありません。 私は、あなたのような日本人に出会うと、人間としてとても不憫に思います。

投稿: rubio1919 | 2009年5月29日 (金) 19時33分




ご都合主義ですか。
でもね、在日が国籍選択権を主張しはじめたのは、70年代になってからのことで、それまでは一貫して、日本の朝鮮併合は違法であり、自分たちは半島がいずれ統一されれば祖国に戻ると在日は主張されていたのではありませんか?
それが一転して、植民地下とはいえ自分は日本国籍をもって生まれ育ってきた、日本国籍を放棄した覚えはないと主張に変更されたのは、日本の都合じゃなく、(おそらく北の帰還者の悲惨と、南と日本との経済格差を身をもって知った)在日側の都合だったのじゃないでしょうか。
日本は敗戦の際に在日朝鮮人に朝鮮と日本の国籍選択権を与えるべきだったのにそうしなかった、在日は日本国籍を剥奪されたのだ、という主張の前提は、まず、日韓併合が合法正当であったとする日本政府と同じ立場でなければなりません。
これこそ、ご都合主義の最たるもので、自分たちの状況が変わったから、それまでの主張を、その前提含め、変えてしまう。その変更は、一切見えないことにする。日本の(その場の空気を読んだ)都合を、責める資格が在日側に今、あるでしょうか。
日本は日本の都合と半島の都合と在日の都合を配慮した(場の空気を読んだ)だけで、在日のように在日だけの一方的な都合を主張しているのではありません。

20年12月に堀切内相が「内地に在留する朝鮮人に対しては日本の国籍を選択しうることになるのがこれまでの例であり今度もおそらくそうなります」と答弁した記録があるのに、実際そうならなかったのは、さきにも書きましたが、自分たちをアメリカやイギリス・中国と同様の戦勝国民(連合国民)として扱え、敗戦国民(被占領国民)である日本人と同じにするな、と主張して暴力行為に及んでいたのは、在日朝鮮人自身と半島国家だったのじゃなかったのですか? 一緒に戦っていたはずの朝鮮人が掌返しを行って、戦勝国民面する。日本人は愕然としたはずです。おまけにそう主張していた朝連は結成時、在日65万人のうちの40数万人が加入したと記録されてます。もちろん24年9月に「暴力主義団体」指定を受けて解散命令が下り解散させられていますが。
日本国籍を維持したいという意見は、当時、在日側から、あったのですか? そういう資料は残ってますか? 

こうした様々な当時の状況の変遷を含めて考えず、後世からの視点で、国籍選択権云々と言われても、何をいまさら言っとるんじゃろうなぁ、とあきれられるだけです。

でもね、私は、あなたからいかに不憫に思われようと、不当ともいえる自信を持ってるんですよ。この件に関して。


投稿: furukotobumi | 2009年5月29日 (金) 20時56分




furukotobumiさん

「半島がいずれ統一されれば祖国に戻る」とすべての在日が主張したのでしょうか? 少なくとも私の父母・祖父母をはじめ、親戚縁者で、そのようなことを言った人は一人もいません。 また、そのような主張をする在日がいたとしても、日本社会の一個人、あるいは一団体の発言にしかすぎないのです。 在日がどのように言おうが、日本人が己の都合で在日の処遇を決めていったのは明らかなのに、日本人が主権者たる自己責任を度外視して、何の権力もない一部在日の発言を取り上げて責任を擦り付けるのは、卑怯な言い逃れというほかありません。 しかもそれを「相手の身になって考えた」末と言いくるめて、挙句の果てに、それが愛すべき日本人の”愚かさ”だとして悦に入る。 哀れを通り越して、正直気持ち悪くなります。

「日本の国籍選択権を与えるべきだったのにそうしなかった、在日は日本国籍を剥奪された」という意見と、「韓国併合が不法不当だった」との意見とは全く矛盾しません。 なぜなら、在日朝鮮人日本国籍を一旦剥奪して、希望者に日本国籍を付与すればよいだけの話ですから。 日本統治下の住民に対する日本国籍の付与は、すでに述べたように、日本政府の権限で出来ることです。 事実、ドイツは、在独オーストリア人に対してそのような措置を採りました。 終戦後、帰国する在日が多い中、日本での生活が長引いて故郷に生活の基盤を失った在日は、故郷に帰りたくても帰れず、日本での在住を希望する者や、帰国を諦めざるを得ない人は多くいました。 これら在日の存在は、日本の植民地支配の所産なのです。 韓国併合が、合法不法に限らず、その責任が日本政府にあるのは明らかなのです。

在日が「戦勝国気取り」で暴れたという話は、嫌韓の人たちがよく持ち出すネタですね。 しかし、当時すでに日本で生まれた二世もいて、皇民化教育を受けた彼らは、朝鮮解放の喜びなどの実感はありませんでした。 逆に、日本の敗戦は、関東大震災時のように日本人がパニックに陥って襲ってくるのではないかとの不安を在日に想起させました。 実際、在日1.5世の父は、終戦前航空隊に所属していたのですが、日本の敗戦を知ったとき、「自分は生き残ったと思った。 あと一年戦争が長引いたら、特攻で死んでいた」、との感想を私に吐露しています。 戦前から日本人は、散々朝鮮人を蔑視し差別したあげく、戦後、経済的には多くの職場から朝鮮人を締め出しました。 また、日本政府も、在日を差別しても公的に差別を是正する政策など採るはずもありませんでした。 そのような官民一体となった日本人の排外行為・差別行為を棚に上げて、その反発としての一部在日の鬱憤晴らしを、あたかもすべての在日の振る舞いかのように論じて、加害者側の日本人が被害者風の語りで在日を誹謗中傷する。 「戦勝国気取り」と朝鮮人を侮辱して新たな在日差別の材料にしているだけなのに、「一緒に戦っていた」などとよくも恥ずかしげもなく平等面ができるものですね。 

朝連が「暴力主義団体」指定を受けて解散命令を受けたとのことですが、朝連が解散させられる前年の1948年、日本政府は民族教育を弾圧し、朝鮮学校の閉鎖を迫りました。 それに反対する大阪府庁前の朝鮮人の集会で、参加していた在日少年が警察官の発砲で死亡しました。 このような在日の民族教育擁護の運動が「不法行為」として弾圧され、朝連が解散させられたわけです。 あなたは、恣意的に朝鮮人と暴力を結び付けようとしていますが、実際は権力者たる日本人が暴力で在日を弾圧したのです。 これも、「相手の身を考えた」日本人の”愚かさ”の為せる業だったのでしょうか?

日本国籍を維持したいという意見」が当時在日にあったかなかったかは何の関係もありません。 日本の在日に対する戦後処理の対応が正当か不当かを検討する中で、当時の日本政府の対応を批判して現在の在日の待遇改善を要求することに、いったい何の不当性があるのでしょうか? 改めて言いますが、戦後在日の処遇は、在日の意向なのではなく、一方的に日本政府の都合で決められたのです。 そのような日本政府の政策責任が日本政府にあるのは自明のことです。 ご指摘のように、当時国籍選択案が日本政府内にあったのは事実ですから、「何をいまさら」と自己責任を放り投げて負いようのない責任を在日押し付けるのは、「盗っ人猛々しい」というものでしょう。

「あなたからいかに不憫に思われようと、不当ともいえる自信を持ってるんですよ。」と日本人のあなたが仰られるのは、よく分かります。

投稿: rubio1919 | 2009年5月30日 (土) 20時48分




rubio1919さん。

「日本の在日に対する戦後処理の対応が正当か不当かを検討する中で、当時の日本政府の対応を批判して現在の在日の待遇改善を要求することに、いったい何の不当性があるのでしょうか?」
だって、そういうのって、外国人なんだから国籍のある国の問題でしょうって話を私は延々書いてきたのですよ。自分を日本人だと勘違いしてるのはほかならぬrubioさんのような人間だけですよ。外国人なのに、私は日本人と同じになりたい。そんな外国人が「在日」以外どこにいます?
どうやら私はあなたを感情的にさせる何かを持っているようですね。気持ち悪いも、卑怯も、不憫も、実際、状況認識においてrubioさんと私とでは随分異なります。私がさきに日本人と朝鮮人(外国人)との主張の仕方の違いを長々と記述したように、日本人は良くも悪くもその場の空気を読んで判断を下すんです。隣の顔を見てその向こうの顔を見て、自己主張を抑える。それはもうほとんど伝統芸能というか、習慣です。
「主権者たる自己責任を度外視」とおっしゃる。あなたの目にはそう映っても、違うんです。そういう問題じゃないんです。あなたの問題の立て方と状況認識は、あまりに何か日本人的ではないんです。でも、ここは日本なんです。日本人は長年そうやってきたから、半島や大陸国家と違ってここまで発展してきたんです。近代の帝国主義国家を築いたときだってそうです。あなたは、私のような日本人のすとんと腑に落ちる説明をしない限り、おそらく、あなたの考えは、日本では、そのまま通用しないと思います。あなたが直面してる苛立ちが、さきの感情的な言葉となってぶつけられるのです。
rubioさんは日本で暮らして毎日違和感をお持ちかもしれませんが、日本人なら何も気にしないでやってる行動様式です。「卑怯な言い逃れ」でしょうか。そうしたズレが毎日、rubioさんと日本人との間で積み重なっていくんです。日本人が日本人たるところの行動様式として普通のことなんです。こちらとしてはなんも気持ち悪くないもんねっていう感じです。逆に、これできなきゃ、相当ひどい目に会いますし、外国との交渉事だって譲歩した上にまた譲歩を重ねさせられるのです。見ていて歯がゆいほどに。聞く必要のない声だって聞いてしまうから、今の日本があるんです。主体があって頑としてりゃ、今の日本の弱腰状態なんてありえません。で、そこにつけこむ連中もたくさんいるというわけです。
法律の文書や条約として残っていることは結果に過ぎません。それを生み出した様々の要因は多様です。その結果だけを様々に変遷してきた在日のの状況と意識とに結びつけて、「国籍選択権もあったはずだ」とSFのようにおっしゃってるようにしか思えないんです。それはね、20世紀初頭の朝鮮半島が単独で独立していられたはずだ、っていう発想とどこか似てるんです。状況的に無理なんです。ありえないんです。あなたは、日本の排外主義思想こそが原因だとお考えですが、私は、それもありましょうが、場の空気を読んだだけなんです。それがあなたには「言いくるめて」るとお感じになるんでしょう。
私は、戦後、在日が日本国籍を喪失したのは、彼ら(在日および半島国家)の当時の「希望」であり、その後の推移は自業自得だと考えています。それを”自覚”しているからこそ、70年代(宋さんの裁判まで)まで「国籍剥奪」という言葉を朝鮮人は使用しなかったのだと思います。そんなことを言い出せば、戦後の記憶の確かな日本人は「おいおいちょっと待て。お前らあんとき・・・」と思ったでしょうし、宋さんの裁判がそうだったように在日の「多く」が理解を示さなかったでしょう。時代状況と在日の事情はそのようなものだったんじゃないですか?あなたが上でお示しの在日に寄り添った資料にすらhttp://www.h6.dion.ne.jp/~k-moon/index.htmlにも、戦後の在日が外登法反対の運動は行っても、「国籍選択権」を求めたなんて記述はないのです。それを「あったかなかったかは関係もありません」で、一刀両断されても、私の感覚からしたら、なんでそこまでむしがいいの? それこそSFじゃんと思ってしまうだけなんです。宋さんの裁判まで、在日は「国籍選択権」を考えなかった、それを自ら要求したことはなかった。半島国家も在日もその可能性に反対した。それが普通で自然だった。あんなに一方的な要求を声高に主張する民潭や総連も、そんなものを要求した様子がこれっぽっちもない。朝鮮人寄りの論文すら記述しない。
http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/chapter3.html
日本政府にいくら「国籍選択権」の心積もりがあった【(植民地出身者の)国籍は、講和会議によって決定されるものであり、(それまでは)日本国籍を失っていない」24年1月27日人事院法制部審議課長)「(在日する人々の国籍は)、大体において本人の希望次第決定される見通しを持っています」24年12月21日外務委員会における川村外務次官答弁】としても、在日と半島国家は、猛烈に反対しました。24年の時点でのこの答弁が覆される理由は、日本政府だけの問題じゃないと思います。自分たちの「希望」を伝える示威行動を見せました。多くの記録がそれを証明してくれます。彼らは、戦勝国民扱いを望んです。私から見れば、何も反対運動が起こらなかったということは、この決定に対しての十分な根回しとヒヤリングが行われていたってことです。それ以外に考えられません。

投稿: furukotobumi | 2009年6月 4日 (木) 00時16分




バジル2世さん、Josefさん。いつも書き込ませてもらってありがとうございます。
「相手の身になって考えてしまう日本人」というのは何も私が言い出したのじゃなく、これまでの日本人論の多くがこれを記述しています。唯一絶対神を発明しなかったために神が世界秩序の基準になりえず、一貫した原理原則で社会や集団をまとめようという発想の代わりに、周囲の間で大方意見が一致すればとくに反対意見が無い限りそれがどんなことであれその線でやっていきましょといった姿勢です。古代の朝廷ができたときも豪族の談合と横並びで天皇をかついだんです。要するになんでも、とにかくまとまりゃOKってことで、しゃんしゃんという平和な世界観ができあがってしまったんですね。日本の戦国時代なんて西洋の過去の戦争や東アジアの戦争に比べたらままごとみたいなもんです。
でも、皆さん、ご存知のように、こういう平和な世界観を持ってる人たちは内輪でやるぶんにはそれでいいかもしれませんが、外部から異なる絶対的な理念を持った連中がやってくると相手に妥協の余地がないためにこちらが悲惨なことになるわけです。西洋列強しかり、戦後の朝鮮中国しかり。一方的にやられまくるという現実です。
ですから強調しておきますが、日本人以外に、余計な気を働かせる必要はないんです。でも、やっちゃうんですよね。バジル2世さんのように、違和感を持ちながら謝罪する、って姿勢がまさに日本人的というか、”愛すべき愚かしさ”というか、こういう方を見ていて、ああ、日本人だなぁ、とは思えても、こういう人に、外務公務員や政治家にはなってほしくないな、とは思うのです。違和感があるなら謝罪なんてしちゃいけないんです。香港返還時の大英帝国を見てごらんなさい。
そういう余計な気を働かせている限り、問題は1度で解決せず、形を変えていくらでも蒸し返されていくのです。前のエントリで資料提示して『私は、戦後、在日が日本国籍を喪失したのは、彼ら(在日および半島国家)の当時の「希望」であり、その後の推移は自業自得だと考えています。』と書いたら、rubio1919さん、見事なまでに退却されちゃったでしょ。外交交渉なんてのは、言葉と論理と資料を使った武器を使わない(武器を背後に置いた)戦争です。利益と利益がぶつかってるのに、こちらがすすんで譲歩する必要などありません。
『私のような日本人のすとんと腑に落ちる説明をしない限り、おそらく、あなたの考えは、日本では、そのまま通用しないと思います。』とも書きましたが、在日がむしのいい要求をしてきた場合、いくらでも、そのむしのよさを指摘してあげればそれでいいんです。在日たちがいかに戦後目先の利益に惑わされ、半島国家からリモートコントロールされ、日本のサヨクに体よく利用されてきたか、その見たくもない、目をそらしていたい「歴史」http://koreanshr.jp/kenkyukai/resume1/chapter3.htmlを思い出させてあげればいいんです。いわゆる、彼らの近視眼的な状況認識とそれに基づく運動がどれくらい自分たちの日本での政治的立場を損なうのに「寄与」してきたか、私はそれを「自業自得」という言葉で表現しましたが、私なんかなんとも不可思議な民族だな、とは常々思っています。
それと、過去を語るとき「捏造された記憶」を語る者もいます。当時はそんなふうにまったく思っていなかったしその可能性もあるはずがないのに、今、自分たちの状況や事情が変化してきたら、当時も、そのことを考えていたんだと、記憶を捏造するのです。そういう連中の昔語りも幾分値引きして聞かないといけません。記憶なんて後からいくらでも、都合のいいように捏造できます。大方の朝鮮人は当時、国籍喪失に「同意」してたんです。その決定に「乗った」んです。すくなくとも、無言のうちに承認したんです。でも、現代に生きるrubioさんのような方は、認めたくないんでしょう。併合時多くの朝鮮人が併合を無言で承認したことも、認めたくないんでしょう。でも、認めちゃったから、rubioさんのご先祖は、この列島にいらしたんですね。
おそらく、在日のご存命のお年寄りの(一世)の多くの人たちは国籍選択権に反対したことを「しまった」とお思いでしょう。しまった、と言えないから、「剥奪された」という受身形に変更されたんですね。あのとき自分たちはなぜ「選択権」に反対してしまったのか。目先の戦勝国感に酔いしれていて、祖国と日本とがここまで差(奇跡的な経済復興や国際的文化的価値評価)がつくとは思わなかったんですね。悔しいでしょう。私のこの記述に悪意を感じられますか?でも、現実は、そんなもんだったでしょう。
まずなによりも、rubioさんを含めた在日の方は、戦後から52年までの朝鮮人の先輩を、現在、「どうして国籍選択権を拒絶したのだ」と、訴えてもいいくらいじゃないのですかね。それは、在日同士でやれるでしょう。当時の大勢だった朝鮮人を、なんと馬鹿なことをしたのだ、と訴えるのです。それをやらない限り、多くの日本人は何が謝罪だ馬鹿馬鹿しいと思うだけです。
それとともに思うのですが、在日がやるべきなのは、在日自身の本格的な「戦後の政治運動」の総括であり、これをやっておかない限り、自分たちが現在陥ってる「窮状」の要因には目を伏せたまま、日本があの時国籍を「剥奪」したせいだ、「植民地」化したせいだというむしのいい姿勢からは、一歩も、出ようとしないでしょう。在日自身が在日自身の足を引っ張ってきた(帰化の妨害含め)、その事実に対して彼らは面と向かわなければならんでしょう。私は、彼らが、謝罪だなdなと口走るたびに、「身の程知れよ」という気がしてならないのです。そして「身の程知れよ」という気がしてる間は、謝罪などもってのほかだと信じています。目をそらしていたい自分たちの過去、不快な現実に頬かむりしたまま、日本の謝罪だけ求めても、無駄無駄。
rubio1919さんタイプが一番触れてほしくないのは、まさに、この「在日の戦後の政治運動」なんです。戦後の在日の政治運動の証拠は、はっきりと記録されており、それを偽造することはできないのからです。ですから、rubioさんタイプは「民潭や総連」”以外”の在日の姿(彼の親族)を持ち出すしかない。しかしながら、それ”以外”の在日だって、民潭や総連の「恩恵」を受けてきたのです。
自分の不遇を呪い、先祖の不遇を呪うのもいいですが、そんな状況に陥ったのはほかならぬ、在日自身の政治意識、国家意識、民族意識にどこか奇形なところがあったんじゃなかったかということにも思いをはせてほしいですね。帰国できなかったのは、生活基盤の問題だとお書きです。こういうのも、私は眉唾だと思っています。だって、戦時中大陸や半島にいた日本人だって、日本に生活基盤なんか無い人だってたくさんいたわけですよ。でも、そういう日本人は、「なんとしてでも」、この小さな列島に帰ってきたのですよ。戦後無一文から始めたんですよ。朝鮮に残りたいなんて日本人はほとんどいなかったでしょう。そこに居残ったらどうなったか、多くの記録が残っています。
逆に、日本にいついた朝鮮人は何十万人もお帰りにならない。なぜでしょう。なぜでしょう。そう「帰りたくない」んですね、実は。戦後の半島と日本の復興と発展の様子を知ってるから、帰る気にならなかったんです。「差別」されていても帰りたくなかった、あそこよりゃましだと思ったのですよ。それが偽らざる心境じゃなかったのですかね。これも、悪意でしょうか。

それと、お二人は、簡易帰化や国籍取得の手続きをお考えのようですが、もし、そういうことになれば、同時に、本格的な防諜機関を立ち上げ、「スパイ防止法」も成立させておかねば片手落ちです。なぜなら朝鮮籍から韓国籍への移動が容易であるからです。それ抜きの議論は危険すぎます。
いつも長くなってすみません。
関東大震災については、現在、SAPIO誌上の連載で詳しく検証されておりますから、一度ご覧になったらいいですよ。
http://naver.uwakina-honeypie.com/index.php?%CE%F2%BB%CB%BB%F1%CE%C1%BD%B8%2F%B4%D8%C5%EC%C2%E7%BF%CC%BA%D2


投稿: furukotobumi | 2009年6月11日 (木) 15時49分




事後報告になって申し訳ありませんが、備忘録的にhttp://d.hatena.ne.jp/furukotobumi/に、ここでのrubio1919さんとのやり取りを転載させていただきました。許可いただけない場合おっしゃってください。
今は削除されたk3altさんのブログで彼にお目にかかって以来なかなか骨のある方だとウォッチしてたんですが、どうやら私は彼の一番痛いとこを突いてしまったらしく、http://d.hatena.ne.jp/rubio1919/20090522において

『rubio1919 2009/07/14 22:01
Qさん

>余計なお世話でしょうが
ザンジバル氏のブログの書き込みに反論しなくていいのですか?

「おとぎ話」には付き合えません。 きりがありませんから。』

とのことだそうで、いささか失望を禁じえません。
他人に謝罪を要求されるのなら、相手の納得できるそれなりの理由づけが必要です。私のような日本人を説得できるだけの論理と証拠(現実)を提示しない限り、彼の要求する「謝罪」は、ただの言いがかりにすぎません。他人に因縁をつけておいて反論できなくなったから「おとぎ話」扱いとは、私の目も曇ったものです。

投稿: furukotobumi | 2009年7月16日 (木) 00時54分


以上http://zanbajiru.cocolog-nifty.com/blogtytle/2009/05/post-3e34.htmlより。